* 昨日の外出で、爆発したような花粉症、目がやられて終日つらく、夕食後には怺えきれずに寝込んでしまった。冷たい水で洗う以外に手がない。鼻へ来るのはまだいいのだが。これから花の散り終える頃まで堪え忍ばねばならない、呑み薬の効果も、一度の外出で消散。
2002 3/3 12
* 早起きして目を洗っていた。洗面台に屈んでいた姿勢をひょいと起こすと、左腰が、ビキッと鳴った。痛みが右腰と右背中に走った。
こうなると、わたしはじっとしていない。痛みを堪えて廊下を早足で往復し、階段を上がり下り繰り返し、動きに動いて痛みを追いやった。ギックリ腰は、負けて安静にしたりすると、痛みと運動機能とが固定し固着してしまう。動いて動いて元へ早く戻した方がいいというのが私の療法で、いつも成功している。今度はどうか、保証はないが。
2002 3・4 12
* 花粉は時期を待ってやり過ごすしかないのが、いまの世の中では不思議です。さぞ辛い毎日だと思います。うちでは上さんが数年前からやられていますので、私もいつやられるかと戦々兢々です。
花粉症の話になると、最近わたしは、国権で杉をみんな伐って、安く建材に回せばいいと語っています。花粉症が春先の深刻な社会問題になってもう何年になるでしょう。その間、ずっと放りっぱなしは、明らかに行政の怠慢です。照葉樹は無闇に伐ってはいけませんが、杉はかまいません。この事については、いろいろな人のいろいろな意見もあると思いますが・・・・・。
ところで、 新しいWzをお買いになったのですね。それでもいけなかったのですか。使い慣れたAPが使えないというのは本当に辛いものです。苛立たしいお氣持がよく判ります。
* 「杉はかまいません」に、何の知識も無いのでビックリした。わたし自身の怠慢もあり、毎年花粉では辛い思いをする。わたしなど出たくないと思えば大概は家にいられるのだから、幸せな方だ。だが今日は早朝から晩も遅めまで外にいなければならぬ。最初に行くのがたまたま眼科検診なので、なにか授けてくれないかと期待している。
* 腰の方、就寝前に飛び上がるほど冷たい大きい湿布を患部に張り付けた。これはラクだった。少なくも寝ている間に痛さで目覚めることなく、いちど手洗いに立ったときも昼間より身動きしやすかった。六時過ぎに起きたとき、痛みは消えていないけれど、ウ、と息をつめて立ち、なんとか。現状はやや軽快といえても、さて、この機械の前から立ち上がるとき元の木阿弥かも知れない。あまり無理に動いて「炎症がひどくなってはいけません」と朝のメールで注意されている。漢方の医者を紹介しましょうかと親切に。
* 竹中工務店にいる東工大卒業生が、また自作の建築作品が出来たので、赤羽まで見に来てくれと案内してきた。その日のその時間は無理だと返事した。頑張っているのが、けっこう。わたしの今日は、聖路加へまず行き、次いで銀座で、今日が初日の玉村咏氏染色展を見、三時から電子メディア委員会。六時には帝劇で妻と大地真央のミュージカルを観る。痛い腰で、花粉の渦巻く中を終日動き回るのだから、さんざんな一日になるだろうが、存外にああよかったと思って帰宅出来るかもしれんではないか。ま、やってみるさと早起きした。血糖値は94、まず上等。あと一時間で出掛ける。さ、機械の前からどんな程度の痛さで立ち上がれるか。坐っている分には何時間でも平気。立ってしまえば歩くのも階段もそう苦ではない。
2002 3・5 12
* 腰掛けていて立ち上がるとき、息をつめるようなこわばりと痛みがあり、腰の伸びるまでにちょっと時間がかかる。歩き出せば歩けるし階段も苦にならない。出がけに湿布を新しくしたのが効いてくれる。新富町まで一時間、有楽町線の電車の中はじっと瞑目のままで行った。無用に目をあけると痒くなる。
眼科はべらぼうに混んでいて、十時半の予約だが一時間半は遅れると掲示されていた。本など持っていたが読まず、ひたすら瞑目、こういう事にも慣れてきた。じっと目を閉じて坐っていることの心地よさなど、せっかちなわたしの久しく知るところでなかった。二時間でも三時間でもじっと、たいして何も考えずに坐っていられる。
そして診察は、まさしく三分。有り難かったのは花粉症の眼薬ももらえて、これが効き目のかゆみが軽くなった。鼻のぐずつきも、少し。
目は、視野検査を六月に又するとして、目下は視力もあり眼圧もわるくなっていなくて、「つぶれるなんてことは心配しなくていい眼ですからね」と言われてきた。疲れると霞むので白内障を言われないか気にしていたが、そんなことで、三分なりの功徳はあった。
病院の診察で待たされ院外処方の薬を待つのに時間がたくさんとられ、やっと解放されたのは一時半。三分治療と投薬に三時間である。忙しいときだと堪らない。
2002 3・5 12
* 腰はだいぶ固まっていたけれど、ゆっくり立ち上がり、さすがに帝劇から日比谷クラブへ歩く元気はなくてすぐ地下鉄で一路帰宅。車中で、中島和夫氏の、結城信一他の文学者回想を面白く読んだ。
駅から、ゆらゆらと二人歩いて帰ったが、さすがに疲労感があった。重い鞄を持ち続けていたので、絶えず左右に持ち替えないと背骨や背中が痛む。ギックリ腰のオジサンをからかいながら心配してくれるメールが留守に幾つも届いていた。
2002 3・5 12
* おもしろいメールであった。ああ、しかし、目の痒さよ。そうそう目薬ばかりさしていられないし。明日は花粉が凄いほど舞うらしいのに、また乃木坂まで会議に出る。
2002 3・7 12
* あい変わらず、腰も痛み、目も重苦しい。ま、ごまかしながら普通の生活はしているが。
2002 3・9 12
* 朝から花粉が鼻に襲いかかり、目へもじわっと重い手を掛けてきている。
2002 3・12 12
* 体調がよろしくないようで、たったいまも、右の首筋に、感じたことのない切り裂くような痛みが数秒続いて、ちょっと怖かった。たんなる肩こりの筋肉痛であるのか、血管なのか。五日間、血糖値も130-170を揺れていて、ずうっと100前後だったのからみると高い。睡眠は、ま、必要な程度取れているが。
わたしは、そういう自分のからだの調子を、なるべく他人事のように「眺めて」いる。おたおたしても始まらない。自分で自分を眺めている、傍観しているという姿勢は、心理的に、わるいものではない。死を迎えて安心しているのでも、すべき仕事が無くなっているのでもない。静かに生きるというだけのこと。
2002 3・17 12
* 診察も、そのあとも、いろいろと時間がかかって疲れた。花は、街のあちこちで少しずつ咲き初めていて、空は晴れやか、軽装でも寒いことはない。しかし花粉が、何をしていても身にこたえる。
心臓機能の方は問題なかった。体重を減らせ減らせ、であった。
* それにしても、疲れての帰宅だった。
2002 3・18 12
* おそくまで本を読んで寝たので寝過ごした。鼻へ、花粉が吹き付けてくると思うほど。むかし春闘いま花粉と難渋しながら、もう何年たったことか。年中行事の春闘に中間管理職として右往左往の迷走を強いられていたのは、1974年春までだった。その夏にわたしは医学書院を退職し、筆一本の生活に変わった。退職してすぐ雑誌「すばる」に村上華岳らを描いた『墨牡丹』が一挙掲載され、そして新潮社から新鋭書き下ろしシリーズの『みごもりの湖』が出版になった。花粉症を自覚し始めたのはだいぶ後だったろうと思うが、記憶はさだかでない。十五年以上悩んでいるのだけが確かだ。やれやれ。今朝も花見だよりが届いていて、なんだか取り残されている気分。
2002 3・23 12
* 昨日今日と血糖値は九十、八十台で落ち着いてきた。昨日、花見に歩いてよかったのだろう。
2002 3・25 12
* 血糖値よりも、別の何だかの値が右肩へすこしあがりぎみなのを、用心しましょう、と。体重は八十キロをすこし割っている。
* 早めに行き早めに検査を終えておいたので、一時半予約の、二番目にはもう呼ばれて、すぐ済んだ。行かないとインシュリン等が出してもらえないから行くが、ひどいときは予約時間から二時間も遅れる。今日は早々と、二時よりだいぶ前に済んで、あまりの空腹でもあり、有楽町「きく川」で昼飯を済ませた。とまっすぐ地下鉄で保谷駅に。
2002 4・26 13
* わたしの体調は、このところ、あまり宜しくはない。自覚的にどうという変調はないが、予感がある。明日の診察は少し気重である、が、ま、いいでしょう。せっかちに考えても仕方がない。
2002 5・30 13
* 暑い日で、汗でシャツがぬれた。
* 診察は簡単にすみ、「安定している」ので問題はあまりなく、何とかの値が6.5がいいのだが、6.9で、もう少し頑張りましょうと、これは血糖値のことではなかった。血糖値の方は、ほとんど心配していないらしかった。
* 安心して、ま、今日はよかろうと、昼飯には病院近くの店で地鶏のカツを食べ、早めの夕飯には洋食をコースで食べてきた。ビールとワイン。食欲はすこしも衰えなくて、うまいものは、うまいのである。もっとも大量に食べたというわけでない。このごろ、全体に食べる量は落としている。
2002 5・31 13
* 明日の桜桃忌は、早朝八時半から眼科の視野検査と診察、さらに糖尿の定期診察。晩には、秦建日子作・演出「タクラマカン」新宿公演の初日。
2002 6・18 13
* 五時前起床。血糖値105。インシュリン注射、三十分して、山形の芦野さんに戴いたうまい桜桃を五顆賞味。牛乳少し、茶。
聖路加で八時半予約の視野検査から、次々の診察を受ける予定で、まもなく出かける。 2002 6・19 13
* 視野検査は左眼があまりよくないようだ。もっとも、心配しなくてもいいタチの緑内障です、進行をおさえるようにしましょう、と。目薬をさしつづけることになる。他の薬との差し合いなども心配しなくてよいと。
視野検査は、スペースに点滅する光点を認めてはボタンを押すのだが、年齢により反射神経により疲労度にもより、ずいぶん変わるのでは無かろうか。そう精度のいい検査法に思われないが。ともあれあまり気にしなくても良いとのことで、次は師走の誕生日前日。
* 糖尿の方も血糖値安定していて良いです、このままの状態でと、診察はものの一二分ですみ、それは有り難いが、待ち時間のかかるのには閉口する。
院内の食堂で軽食、そのまま池袋に戻り、私用一つを済ませて帰宅。夕方からまた新宿へ息子の芝居を観に出かける。
今日はこのまま休息の桜桃忌。
2002 6・19 13
* 昨日の朝、永観堂の辺で、あ、変だなと感じ、すぐ持っていた風邪薬を飲んだ。この風邪気は二三日前から持っていたのかも知れない、ときどき胃へ来て、予防的に胃薬をのんでかわしていた。妻を大阪へ送りだして置いて、さて独りで京都の何処へ行こうという元気がなく、ゆっくりゆっくり散歩の果てに、メル・ギブソンの映画を観た。幸か不幸か刺激の強いコンバットで固唾を飲んでいたから、映画館を出たときは軽快していた。
帰りの新幹線は、幸い、妻は妹との久々のおしゃべりを楽しんでいたから、一つウシロの席で、殆ど寝ていた。鼾もかいていた。
サッカーの三位決定戦が八時半キックオフだと思いこんでいたので、一途に帰宅を急ぎ、保谷から家まで、これぐらいの小雨はと傘もささなかった。おかげで、最後のインジュリータイムのうちの韓国ゴールが観られたものの、二三分で試合は終えた。郵便物の山を始末し、湖の本の払い込みをきちんと始末し、床についたのは一時半頃か。夜中にひどい悪寒に襲われて、発熱し発汗し、一夜寒気と熱気とで輾転反側、全身、罅が入ったように痛い。いま熱気はさほどでないが、汗ばんで気持ち悪く、身体が痛い。
ま、さほど心配もしていないし、通り過ぎるのは早いだろうが、夜の、ブラジルとドイツとの決勝戦までやすんでいようと思う。
2002 6・30 13
* 「三年ぶり」に歯医者へ。この小一年も真正面の歯が一本ぐらついたままであった。だましだましつき合ってきたが、なんだか二本も抜くそうだ。いやだな。
* やけくそというわけではないが、大江戸線を利用し新宿方面へ出て、また濁り酒などをのんできた。
2002 7・19 14
* なぜか、えらく食欲があり、うまいものが食べたい、なにがいいかななどと想っている。京都の玉村咏氏が越前の肴をいろいろ贈ってきてくれた。山口からは清酒「獺祭」が三本届いた。これはもう飲まずにおれなくて、仕事の間・間に、ちょくちょく、と。
さすがに外出は皮膚を焦がすようで蒸すようで、着替えるのからして面倒でひるむけれど、そういう時にわざと週一の歯医者通いを決めたのは、出て、そのついでに楽しめることは楽しもう算段。だが麻酔の抜歯の入歯のと続いては、勘定が違いそう。
2002 7・24 14
* 今日も出かけなかった、どこへも。玉村さんにもらった、きすやサヨリや鯛のささ漬けを肴に、獺の気分で「獺祭」を飲んだ。
明日は、なんだか知らないが「麻酔する」と医者に予告されている。二時ぐらいまで喋れないらしいから、食べられもすまい。そんなときは、観るものも冴えないからまっすぐ帰ってこよう。真夏。どこかへ行きたいが。このごろテレビで佳い映画もない。
2002 7・25 14
* 二三日前から、理由は分からないが左のアキレス腱が、歩くと痛い。少しビッコを引いて歩いている。思い当たることが何もない。手足の先のかるいジンジン感は、もう一年以上も昔からあるけれど。そういえば、ふくらはぎがひどく堅く冷え、痛んでいたときがあった。終日硬くてくらつく椅子生活、良くないのかな。
2002 7・26 14
* 明日は娘朝日子の誕生日だ。四十二歳か。三十代の初め頃までの朝日子しか知らない。元気でいてくれるように心より祈る。孫達も。孫の人数は二人から増えているのだろうか。どんなに大きく成ったろう。建日子の「天体観測」など、観ているのだろうか。ある日、孫娘やす香や、みゆ希達から、メールが届けばどんなに妻は喜ぶだろう。わたしも。われわれのことは、記憶にもないかも知れないが。
2002 7・26 14
* 朝一番、誕生日を迎えた朝日子の健康と幸福を祈って、妻と赤飯を祝った。
2002 7・27 14
* 少しずつだが仕事が前へ進むと、それが気の薬になる。運動不足ではあるが、意識して食を細めにしているのでからだは辛くなく、体重も増えていない。頑張ればもう少し下げられるだろうが、強いてはしない。食欲の方を大事にしている。
2002 7・29 14
* 一時間二十五分も、歯の治療台に仰向いていた。参った。六日と九日にも。参る。
* すさまじい雨に降られ、雷も雹も。そして池袋駅まで戻って左アキレス腱が痛みはじめ、とても普通に歩けなくなった。保谷ではやや小降り、しかしタクシーにはえんえんと行列。しかたなく、幸い夏の雨で冷たくなく、「ぺると」で中休みしてから、左足を庇い庇いひきずって雨の中をぬれて帰宅。
2002 8・2 14
* 左アキレス腱の痛みと歩行の軽い苦痛を考慮して、予定されていた野村敏晴氏招待の会合を失礼させて貰うことにした。日本舞踊家達の華やいだ出版記念のパーティだが、ま、巻頭に原稿を寄せたという程度で、たいしたお役にも立っていない。
2002 8・3 14
* かすかに発赤し腫大しているかに見えるアキレス腱の痛みは、冷やすと高じ、むしろ入浴するととても和らぐ。機械に貼り付いた椅子の生活と冷房での脚の冷えとが慢性的に響いているのだろう。対策している。
2002 8・3 14
* 医者からの帰り、光化学スモッグの警報が出ていた。燃えさかるような夏空の下を、左脚、すこし痛いのをひきずって、汗すらたちまち蒸発させながら帰ってきた。明日は、京都に。今月末には父の命日も。
2002 8・6 14
* 朝から晩まで外へ出ている日、かなり気が重い。明日からはやや「夏休み」っぽくなるかどうか。少し気が滅入っているように思う。黒い影のようによく分からないプレッシャーが感じられる。血糖値がこの頃は120前後のグレーゾーンに。100前後の正常値をかなりの期間維持していたのだが。ま、運動はしないで酒をくらっていては仕方有るまい。 2002 8・9 14
* 江古田二丁目でバスに急いで左アキレス腱をさらに痛めた。終日、脚をひきずって歩いた。
2002 8・9 14
* 運動不足による体調の故障は覆いがたくなってきたようだ。全身が痛み始めている。冷房がその上塗りをする。
2002 8・13 14
* 霧が降るように気持ちが冷え込む。
何をしに毎朝起きてくるのだろうと、ほとほと苦笑いされることがある。
今朝は痛烈な右足ふくらはぎ攣縮に大声で悲鳴をあげて目覚めた。とっさに足指を反るのか曲げるのか分からず、第一手が足指へ届かない。妻を呼び立てたが、うろうろして、ふくらはぎを撫でさすってくれたが、撫でてさすって軽快するようなこむら返りではない。声を放ち、脂汗をかいた。あんな痛い思いをするなら、寝入ったまま目が覚めない方がいい。
一瞬の好機にすうっとこの世から消えてしまえるなら、どんなにいいだろうと思う。
もう昔だが、本を読んでいたら、あるえらい坊さんの失敗譚が出ていた。坊さん、崖の下に庵を結んで行い澄ましていたが、天災で崖崩れし瞬時に庵もろとも生き埋めにされた。坊さんは、かつがつ救い出されたが浮かぬ顔して喜ばない。弟子達が聞くと、あのとき自分は南無観世音と祈った、それで現世利益の観音様は救い出して下さった。あの瞬時に南無阿弥陀仏と唱えていれば西方浄土に迎えられたであろうにと不服顔だったというのである。
これを読んだとき、面白い話だと思った。死は一瞬の好機、坊さんはそれを逃した。だが助かったのなら素直に喜べばよかろうと、今のわたしは、思う。へんな坊主だなと思う。
それにしても、この坊さんは、そういう瞬時に自身の無理なはからいでなく出会えたのだから、ほんとうは無類の幸運に接していたのだ。自分から走る電車の下に飛びこんだり、ひどい薬を飲んだり、どこかにぶら下がったりは、好機でも何でもない。ただの負けである。負けでも構わないから、と、思うときがいちばん、人間、危ない。
自殺した兄は、昔に死んでいた母が、つまりわたしの生母であるが、自殺であったと死ぬ日まで考えていたようだ。そういうことを彼は人から聞いていた。われわれは三人とも、まるでばらばらに生きていて、お互いの日々とは甚だ疎遠であった。だからよく事情は分からないが、母の最期の時期を知っていた若い同志社の神学生、のちに牧師になった人は、「自殺だなんて」とわたしに顔色をあらためて話してくれた。聞きように由れば、だが、母の自殺を否定したのか、キリスト者として否認した物言いなのか、今にしてちょっと分かりにくい。兄の方が確信していた、わたしは、どっちでも仕方ないと思ってきた。「十字架に流したまひし血しぶきの一滴となりて生きたかりしに」というのが母の辞世歌であった。母は、身動きのならない大怪我以来の重症であったように聞いている。死ぬ少し前に友人の助力を得て、一冊の歌と文の本をかろうじて出版にこぎ着けた。覚悟していたのだろう。
それにしても自殺には、いたましい無理が感じられる。母にも兄にも、妻の父親にも、それを感じる。自分の気持ちに冷たい霧が降ってくるとき、わたしは、心して、そこから身をもぎ放して逃れようとする。もっと放埒に、もっと無頼に生きたいと願うことにしている。バグワンに多く深く聴き続けているのが、わたしを救い出してくれる。
2002 8・19 14
* 当地は台風のむしろ恩恵とも言えるような、涼しい風が吹いています。二週間通しの出勤となったお盆期間が終わり、例年のように、二日連休を楽しんでいます。
足のこむらがえりは、もしかすると冷えからきているのではありませんか?
昨年の夏から、下半身(両足)の筋肉がそんな状態になりはじめました。身動きもならず、「痛い!痛い!」のうめき声をあげながら、痛みの和らぐのを待つしかない状態が続いていました。病院で弛緩剤をいただいて服用。
そんな話をしていると、「冷えると、よくなるんよね。」とアドバイスしてくださる人もいました。
「ああ、そうなんだ」と、原因らしきものが判明した? ことで安心感が持て、兆候が出始めると、マッサージをして温め、なだめてはお風呂へ。今ではお薬も必要なくなりましたけれど、初めてこの痛みに襲われたときには、先々のことを思い、とても不安になりました。加齢による体の変化を見落とさないようにせねばと、心しています。
暑い夏の、汗がひくときに体温を奪われての冷えは、気持ちいい感じがしますが、結構、芯まで冷えていて、要注意ですよ。 ご無理なさらずに、どうぞ御身お大切に、ご自愛なされてくださいませ。
* まちがいなく、この「冷え過ぎ」症候群であろうと思う。肩の痛むのも、ちょうど背後の高みからクーラーの風が吹き付け続けているせいだろうし、冷気が下へ下へ溜まってアキレス腱が硬化した痛みだったと思われる。あかく炎症ぎみですらあったので冷湿布したのは逆で、冬の長靴下を昼夜つけて、浴室でもよく患部に熱湯をかけたり入浴したりして、ずいぶん軽快している。
以前、電車に乗り吊革をもっている肩へ、真上からの冷房風があたるつど、びりびりと痛んだことがよくあった。冷房は怖いという実感がありながら、同じ事を繰り返してきたのだから、愚なものである。
こういうメールも、納涼感に満ちている。どんな暮らしをしているのだろうと不思議だが、つまりこんな暮らしをしているのだろう。
2002 8・20 14
* 四本も抜歯された。むむむ。しこたま麻酔針も刺された。痛みはなかったが出血はかなり。いやでもおうでも、目の前に人生二学期の終了が迫ってきた。いや正月休みが終わるのか。
2002 8・23 14
* 出がけに至急の校正や何かが舞い込んで、かなり気がせいて家を出た。一時半の予約診察だったが、勘をはたらかせて正午に病院に入った。検査を済ませ糖尿外来に行くと、案の定がらがらで、すぐ先生の診察が受けられた。全く問題ないとのことで、簡単明瞭、必要な薬品や検査用品をもらっただけで、十二時半には病院を出た。それはいいが、今年一番のがんがん照りに額も首筋も焦げそう、早々に地下鉄へ逃げ込み、有楽町で途中下車し、帝劇モールの例のご贔屓「きく川」に入って、鰻。塩もみのキャベツ。そして菊正一合。前田愛さんの「樋口一葉の時代」と、今度の湖の本の跋文を、ゆっくり読んでゆっくり息を入れた。あたりはずれのないご馳走で、満足するのは確実、こういう店を都内のあちこちに何軒も持っていると、どこででも楽しめる。戦時中の欠食児童は、どうにも食い気ばかりは根強く残っていると見える。
わたしは美食家ではない、好き嫌いももう偏食といっていいほどだったが、ま、とにもかくにも食事はまだ楽しめるのが嬉しい。ただしいつも糖尿病の顔は立てるように気遣っている。病院へ行くたびに医師も看護婦も、ほとんど手放しでほめてくれる。
* 保谷へ戻ってから、「ぺると」に立ち寄り、若いマスターと住基ネットのことなど、話し合ってきた。
2002 8・30 14
* 二日の晩以来、仮の差歯がぐらぐらとともすれば抜けて、食事が出来ない。間違いなく歯抜け爺になってしまったわけだ、今更なにをジタバタ出来ようか。わたしの気持ちよりも体の方がさっさと店じまいを始めている。そう急ぐなよと苦笑し声もかけているが、ま、順調に行っているということではないか。
2002 9・5 14
* 五時半に目が覚めた。六時半までじっとしていたが、起きた。夜前夜中の雨が、また降り始め、今は本降り。午前には歯の治療に行く。
2002 9・6 14
* 歯が入った。なんとなくガックリ疲れた。次回で一段落か。支払いに約五十万円を持参する。いま、土砂降り。
2002 9・6 14
* まさか十三日の金曜日でカツイダのではないが、今日は朝の寝覚めからよくなかった。いろんな事が、こまごまとウマクなかった。ツイテないぞ今日はと、朝から、なんだか覚悟を決めていた。覚悟に見合うほどひどかったわけではない、佳いこともあった。
* 歯の治療が終わった。三ヶ月かせめて半年ごとに来いと言われた。このまえは三年近く間をあけたようだ。歯がぐらつかなかったら、もつとサボっていただろう。四十万円ほどかかった。これは仕方がない。丁寧によく仕上げてもらった。
2002 9・12 14
* 血糖値が高めかなあと気にしていたが、これで宜しいと。もう一つの何だか大事な計測値の方も、正常値に成ってきていて、良いのだそうである。ま、病院側でそういう判断ならありがたいと思うことにして。
雨もよいでうっとうしい天気ながら、有楽町で途中下車して「きく川」で菊正二合の鰻は最高、塩もみのきゃべつもたっぷり、ご機嫌であった。
なにしろ「モンテ・クリスト伯」があるから、病院で待たされようが、悠々。全編の中でもわたしの一番好きなのは、シャトー・ディフの牢獄で、エドモンとファリア法師が出逢うところから、脱獄し、そしてエドモンが孤島モンテクリストにひとり残って、ファリヤ法師に譲られた莫大で絶大な財宝に出逢うまで。そこを今日は読み継いでいたのだから、雨も何でもない。
2002 9・30 14
* フランスパンで虧け、ガムを噛んで割れ落ちた歯を、また直しに、医者に通っている。やれやれ。古いモノが弱くなってきた。
2002 10・8 15
* あすで歯医者が済むだろう、前の治療後に思いがけず砕けた歯の一本が、入れ歯になった。これで今回は都合五本、昔むかしに一本入っているから、なんと六本の入れ歯である。ほかに冠をかぶったヤツが何本かある。歯一本傷むと十万円かかる勘定で、ま、とんだことであったが、それだけの分、きっと齢がのびるというのであろう。やれやれ有り難いことである。
2002 10・21 15
* 冷え込みのきつさに気が萎え、かろうじて郵便局まで。欠かせぬ校正や本の郵送があった。坂道を自転車ですべる胸もとへ、危険なほど差し込んでくる痛みがあり、怖くなった。日光のささない日は気が晴れない。
2002 11・7 15
気が付いてみると、文化の日、お能の「羽衣」のあとにうまい酒をのんでから、以後四日、わたしは一滴もアルコールに恵まれていない。そのせいか、今朝の血糖値、久しぶりに100を割り込んでいた。若山牧水を中学三年頃に愛読し、秋は静かに酒をのむ季節と覚えたが、なに、四季おりおりに酒は佳い。インシュリンのご厄介に朝昼晩となりながら、気持ちは、上田秋成の遊印にある「生涯在酒」となるらしい。その実、秋成はすこしも呑まなかったと云う。その辺が及びがたく、呑まずしてわたしは少しアカクなる。
2002 11・7 15
* 夜前は例の読書で夜更かしし、今朝は一度起きようかと思いながら、あまり床の中が温かに居心地よくて、いいや視力をゆっくりやすませてやろうと思いつつ、いぎたなく正午まで熟睡していた。
起きてるとひっきりなし視力を消費している。寝ているのが強制的な休息だと思い、幸い何の義務も負わないで済む老境だものと居直って、ときどき、どか寝をしている。
医学書院のむかしの同僚が、インスリン等の経口投与の新手法を報じた日経の記事をメールで送ってきてくれた。わたしが、いと気軽に注射器の針を腕に刺すのをみて、ちり毛立ったらしい。刺すとき次第で痛かったり痛くなかったりだが、ま、何でもない。子供の頃は注射だというと反っくり返ってあばれたのがウソのようだ。
2002 11・8 15
* 山本勝治「十姉妹」は、幕切れが辛かった。平出修「逆徒」には緊張する。佐左木俊郎「熊の出る開墾地」は出だしから引っ張ってくれる。中戸川吉二「イボタの蟲」は巧みに語り初められ、何だろう、と少し息を呑んでいる。
着々と起稿も校正も進んでゆく。わたしの仕事も進んでゆく。家から出なくて済むと、なにかとハカが行くが運動不足にもなる。体重は、だが、願っている水準をかたく守っているし、血糖値も正常値に落ち着いている。 2002 11・11 15
* 今朝、寝床から身を起こしたとき、頭の芯から空気が抜けたように、ゆらゆらした。立ってからも、よろめいた。しばらく椅子に腰掛けて、テレビを見ていた。ぼんやりしていたが、血圧が高いのかと、つねは低い方のわたしが危ぶんだぐらい不安感が停滞した。で、椅子席のまま、その場で出来る仕事を手早く始めた、が、書き仕事はちゃんと出来た。或る程度でやめ、二階の機械の前へ来て、ここまで書いて、ま、額の内側に遠くて苦いような痛みがあるけれど、すぐそばの沢口靖子の顔もみなきれいに見えるし、谷崎先生のにらんでいる顔もいつものようである。早い話が、肩こりであろう。
2002 11・17 15
* 終日、いろんな用事をいろいろに捗らせてきた。歯が浮いて頬がむくんだように痛い。眼もかすんでいる。明日一日をがんばって、一つ峠を越してしまいたい。
2002 11・19 15
* 花籠さんからの牛肉が、とびきりうまい。生協から届くわずかなワインも飲み干してしまった。ところが血糖値は安定して正常値を保っている。体重も増えていない。有り難い。今は、左手の小指の側が手首の上までジンジン痛む。さするとビリビリする。キイの打ちすぎであろう。この「私語」は、一日の作業量の一部なのである。過剰なDOINGではある。
2002 11・25 15
あすは二ヶ月ぶりに病院へ。今朝の血糖値は、77。低すぎると、低血糖値を心配されそうだ。前日の夜を粗食・少量にして、夜分にいやしんぼうをしなければ、まず正常値。量を食べなければ体重もおちつくし、コレステロールだか何だかも安定する。二十六日には酒ばかり飲んで、あまり食べなかったが、調整はすぐ着いたようだ。
2002 11・28 15
* インシュリン、6.4.4 という朝昼晩の注射単位を、4.4.4 に減らしましょうと。横ばいの体重をもう三キロも減らせば状態はもっと良くなるでしょう、と。一時半の約束が、十二時半に済んでしまい、さっさと帰ってきた。
2002 11・29 15
* 八時前、血糖値97、良好。昨夜も美作の純米御前酒を、少しずつ少しずつしかし盃を重ねては案じていたので、一安心。へんに自信を付けても困るが。
2002 12・5 15
* 先刻からとても気分がわるい。頭を振っても髪の毛に響かないから風邪ではないだろうが、深くから、むかついている。少しいつもより早いが、やすもう。明日は終日外で用事がある。
* DVDで、マリリン・モンローとロバート・ミッチャムの「帰らざる河」を宵のうちに見た。いやみのない、すっきりした佳作である。なにしろ、子役も佳いが、大人の二人が抜群にカッコいい。二人とも大の贔屓である。「荒馬と女」のモンローがよかったし、「眼下の敵」のミッチャム船長も素晴らしかった。
* さ、やめよう。吐きそうだ。
2002 12・11 15
* 昨夜の気持ち悪さは、換気の悪さであったかも知れないし、親切に注意してくれた人の曰く、電子画面を長く見すぎて眼精疲労もあるのでは、一日ぐらい何もしない日をつくりなさいと。もっとも、それは息をするなと言うようなことかも知れないけれど、と。ウーン。まさか。
2002 12・12 15
* 寝たのは三時頃。五時間ほど夢を観ていて、起きた。血糖値は 87、少し低いかも。聖路加では比較的判定がゆるやかで、学会基準の空腹時110まで正常、125まではグレーゾーン、126以上は糖尿病という言い方をしないで、125までは正常範囲とみている。180までは「良」と。朝昼夜ともこんな感じでいいですと、厳格ではない。かえって安心して値を維持するように努めている。
朝食前にすぐ一度機械の前へ来るが、マウスを握ると、はりつくように冷たい。うすいシャツを身につけたまま冷水に入ったように、冷たさがはりついてくる。けさは、手足のさきが凍えるように冷えた。まいったなと思った。
2002 12・15 15
* 十一時予約の眼科へ、十時半に着き、その時すでに「二時間」は待てと掲示されていた。診察室を出たのは、一時過ぎ。診察室にいたのは、五分。
視力が落ちているが、眼鏡を掛けてはかれば、1.0は確保できる。メガネが合っていませんねと。近視が一時和らいでいたのに、また進行していると。白内障の起きそうな段階へ来ると有ることです、と。このごろ機械の前や本の前で眼がかすむので、ともあれ眼鏡を作り直すのが緊急の用件だと分かって、病院を出た。
昼飯に日比谷東天紅へ行ったが、時間的にコースは食べられないと言うので、西銀座の「福助」で鮨を、ゆっくり、ワインで食べた。もう午の客もすいていて、板さんとおしゃべりしながら。
ぶらぶら歩いてヤマハでまたDVDを二枚買った。二つとも米国映画。
2002 12・20 15
* 市議選挙に、自転車のウシロへ妻を積んで近くの小学校へ。新しい広い道路が出来たりして、幾叉路にもなりどこが学校だっけと迷うほど。「朝日子が帰ってきても、迷うね、きっと」と言いながら、人けない投票所で投票を済ませた。もう二人乗りの自転車は危ない。スローで走れないのが危ない。そして息が上がり、出掛ける用意をしながら、久しぶりにニトロを舌の下に入れた。両手先がジンジンし、気が霧の消えるように細くなりそう、ともあれ水分を補給し、機械の前にきた。
渋谷の松濤までがとても「遠く」感じられる。万三郎はよほど観たいけれど、此処でノビては堪らないから、あと一時間のうちに体調を見極めたい。休息して家でDVDの方が賢明なようだが、能楽堂というところ、だれかしら懐かしい顔とも出逢う場所だし、能は「六浦」だし、少し心残りにはなる。ナニ、たかが能さ、と思うことにする。いま、眼をつむると、糸をひくように眠気が誘いに来た。すこし階下で寝てこよう。
* 寝もせで、校正に精出ししていた。「白内障」という言葉で警告ともつかない託宣を病院で聞いてきたが、もう年内の眼鏡づくりは間に合わない、新年早々につくりかえに行かないと、文字が霞んでいる。
2002 12・22 15
* 「もう二人乗りの自転車は危ない」:あったり まえです。
「スローで走れないのが 危ない」:冗談ではありません。
「そして息が上がり、・・・・・」:しょうがねえなもう。
* また叱られました。
2002 12・22 15