* わたしの家にまでも、かすかに柳生の血が流れていることを、わりとたしかな資料とともに教えられた。
江戸柳生はしたたかに悪辣だった印象が、いろんなふうに物語にされ劇化もされてきた。わたしのからだへ伝わってきているのは尾州柳生の柳生兵庫の娘から、笠置森嶋家を経由して、わたしの父方吉岡家に流れ込んだという経路。
ま、そんな次第で、バカバカしい原作ドラマであろうけれど「柳生武藝帳」を正月早々観てみるかと、長丁場を、秦建日子と二人で観た。まごうかたなき駄作であったが、ま、身びいきとしよう尾州柳生の兵庫を松平健が大柄に演じていて、これはケッコウで。主演の隻眼柳生十兵衛も、ま、難なく、弟又十郎も清潔な顔を見せた。あとは山本太郎ぐらいしか目にとまらず、高橋英樹の柳生宗矩も敵役の松方弘樹も興ざめであった。
ときどき佳い時代劇も無いではないので見捨てないけれども、触れ込みばかりの長大作など、ムダでは有るまいか。
* と、言いつつ、体調はどうもホンモノでない。図体の中にまちがいなく「腹」という場所が在るということが、常時感覚されている。健康ならそんなこと忘れているのに。
* 昨日につづいて今日も安眠したい。家に、建日子が帰ってきていて、ひっきりなしに機械のキーを叩いて仕事している。それでいて一緒に妙な芝居も観ている。気持ちはとても安心。もう「親」役は降りさせて貰ったよという感じ。
2010 1・2 100
* 寝室を移して、前の部屋は寒かったのだと分かった。落ち着いて、あまりひどい夢見もなく手洗いにも立たず、熟睡。この明け方には、晴れやかに爽やかな笑顔の、澤口靖子の来訪を夢見ていた。罪もない。
2010 1・5 100
* 今日は、少年時代の兄恒彦が、生母ふくに宛てた数通の手紙葉書を読んだ。高校の頃から大学を同志社と絞った時までで、志望校を二年失敗したらしい。
謹直に、いつも敬意を払って優等生さながらに母に書き、母に返信している。いまのわたしでも、驚く。
兄には驚かされたことが、ほかにも有る。
生まれた第一子の長男に、ためらいなく「恒」と、実父と同名をつけている。思いも寄らなかった。のけぞるほど驚いた。何で…。今も分からない。
母が病気で入院していたとき、秦の親に強いられ、わたしも義理か厄介のハガキを一枚出している。誰かの代筆ではないかと思ってしまうほどの字で、文面も、兄の謹直とは比べものにならず、索然としている。わたしからの年賀状も一枚あるが、「謹賀新年」の四文字だけ。兄のように、その気で書いたものでなく、見るからにイヤイヤで書いたのが分かる。
ほかにも、いろんな人からの、要するに不治重症の母を見舞え、母の意思・理想に添い兄と手を取り合え、あるいは、異母妹たちと親しく交際せよと云ってくる手紙を読んだ。殆どは黙殺したのだが、なかには激しく拒絶した手紙の下書きも残っていた。
眞の身内は他人のなかからこそ得たいと、少年のわたしは祈るほど願っていた。
* 今はあれもこれも読み込んで咀嚼するしかない、けれど、腹痛に直結してくる。
2010 1・5 100
* 朝、床の中で、谷崎先生の『初昔 きのふけふ』 『ヨハネ傳』 『総説 新約聖書』を読んでいた。
去年夏に自転車で転倒し二日続けて同じ箇所を傷つけた左膝のすぐ下が、まだ時折爪で掻くようにヒリヒリすることがある。骨折したらよほど危機に陥ると分かっているので、あれ以来遠乗りはもうしないでいる。歩く方へ移したいが、じつは自転車だと腰が痛むこと、全く無い。鞄提げて歩いていると、どうしても腰に痛みが来る。紛らわしようも心得ているが、長くは保たない。
2010 1・7 100
* 仕事を幾つか、前へ前へ押し送った。夕方、七度ほど熱があった。早く休もう。
2010 1・10 100
* 心がけて今朝は十分睡眠をとったが、体違和が、昨日のまま残っている。ものの味が舌に乗らない。昨日の中華料理は久々で旨かったし、紹興酒もうまかった。夜のおでんの店を妻はとてもおいしかったとご機嫌だったが、わたしの舌はあまり働いてなかった。
ひどく身に堪えて寒い。気のせいている仕事が目の前でジリジリしているのに、からだが働かない。そういうときは、ポーンと投げ出しておくのがいい。
* 明日は聖路加。正月明けの糖尿病の診察はビクビクものだが、血糖値はさほどひどく推移しているわけでない。診察後にうまいものをうまく食べて、川風を恐れずに歩いてきたい。足もと、ナイキの運動靴にして行こうかな。
2010 1・14 100
* 額が火照っている。ツンと鼻の奥が痛い。夕方から八時まで寝入っていた、奇態な夢を追いながら。食事を少し摂り、あすのためにもうやすむ。結局安定する世界はいろんな良い本の中にある。九つあるテレビ・チャンネルの九つともがたいていつまらない。
2010 1・14 100
* 聖路加、さすが正月、カラダの数値は想定内でやや悪化していた。なにしろ体重が減らない。
* 好天に誘われ、車で新大橋西詰めへ走り、新大橋をゆっくり東岸に越え、浜町、千歳町を歩いて千歳橋をわたり、本所、回向院前から両国橋を西へ、柳橋をわたり風のない眩しいほどの日向を隅田川ぞいにゆっくり蔵前橋まで行って、西から東へ、東から西へ渡った。思案投げ首のあと、まっすぐタクシーで本郷三丁目までもどって、地下鉄で池袋へ帰ってきた。
西武で鰻。体調か、さほど旨くなく。家の夕食もいまひとつ旨くなく。
電車の中でフローベールの『ボヴァリー夫人』を感銘深く面白く読了。名作、なるほどと合点した。
あいついで『安曇野』の天皇と天皇制への批判を共感、興味津々のうちに読んでいった。昭和天皇と当時の天皇制を語ろうという人には、ぜひ読んでいてほしい好文献である。
ま、ここ五日ほどは気儘にゆっくり出来る。月末の週はなにも拘束されていない。
2010 1・15 100
* 根気がない。あたまは働いていても、その先へ手が動かない。気が変わらない。
* 終日、散漫に仕事を断続していた。風邪気はおさまっている。頭痛もない。腰下がすうすうと寒い。
2010 1・16 100
* 夕食後の体調、ことのほか宜しからず、シンドい。入浴もむりだろう、平臥に落ち着こうと思う。気の励みの払底したような不快感が心身を浸食している。
2010 1・17 100
* 昨日、脚立の上で姿勢を崩したのを、必死に堪えて、左腰を挫いたように痛めた。いつも歩きながら訴える痛みとは別種、非移動性、一点で凝ったしつこい痛み。幸い、歩行に響くほどではない、挫いたのだと思う。
狭い家の狭い通路に不用意に掃除機など置かれているのが、怖い。けつまづくのを堪えるつど、からだにムリ痛がはしる。
昨日の夕食後に急に気分が悪くなり、入浴もヤメ、そのまま寝た。そのまま今朝も十時頃まで寝て、腰のほかは持ち直した感じだが、心身に活気が無い。病院の後、無風で日盛りの隅田川沿いを独りでゆっくりゆっくり歩いていたときは幸福な気分だったが。
ずいぶん早足の方だったが、此の一、二年めっきり遅くなって、このごろでは妻と歩いていても、気が付くと、妻は五十メートルも百メートルもさきを、わきめもふらず歩いている。
昨日、夢で、滝壺のような深い深い筒状の暗黒の底へ沈み続け、底に近い辺で気が付いた。あ、上へと思うのに、なおからだは底の底ちかくへで沈んでゆき、そこで反転、懸命に上へ上へ奔った。「呼んで、呼んで」と求めていた気がする。
元気づけるものが、一つまた一つと火が消えるように減っている気がする。食べても呑んでも、おいしくない。観るモノ、聴くモノ、つまらない。希望をもった民主党政権があのていたらくだ。なさけない。
朝起きて、まだお茶を飲んだだけ。
2010 1・18 100
* ロサンゼルスから電話で体調の違和にお見舞いがあり恐縮した。からだを働かせるのに弱気がある。自転車に乗るにもためらいが先立つし、高いところへ上がって、たとえば階段の電球を取り替えるのも躊躇してしまう。
* 機械の前で、あやうく頭から落ちかけるほど寝ていた。仕方がない。
2010 1・18 100
* 左腰の痛みが移転したか、背中の右半分、亀の甲のように分厚く鈍痛を抱えている。機械に向かう姿勢の悪さなど手伝っているのだろう。
寝室を移してから、煖房にもたすけられ温かく長時間熟睡できる。妙な夢も見るが。
秦の父が旅先でしきりにカードで現金を引き出そうとするのに、からきしカードが役に立たない。気の毒で仕方がないが、さて自分が父の何処に位置しているのか、同じ次元にいるようでないのが、もどかしい。
車も往来する道路の向こう側、使われていないテニスコートにあふれて、数十人もの半裸の陽気な白人の男女達が、海浜にでもいるようにはしゃぎ合っているのを、道路の此方で、人と居並んで観ていた。わたしはだれか若い人と二人づれらしいのに、誰とも、男とも女とも知れないし、どこから此処へ来て、この先どこへ行くのかも分からない。
沢山な読書の後、灯を消したのは二時近く、四時半頃に一度起き、都合九時間余も寝ていた。民主党のバカさかげんを想うと気が腐ってしまう。民主党がバカなのか「国民の皆様」の一人である自分がまんまとバカなのか。
戦後五十年のあとへ、少しはれやかな夢が見られるかと思っていたのを踏みにじられて行くような絶望感。ほんものの敗北感のような、憂さ。こんなふうに退け時が来たのかと情け無い。
* いま、念頭を去来するのは上田秋成の心事である。ああ、おやおや、此処へ落ち込んで行くのかと身に染みる。
2010 1・19 100
* 自転車で駅前の薬局へ処方された薬をもらいにいった。少しそのまま走ろうかと思ったが、よした。漠然と一日を見送った。
2010 1・19 100
* 妻は応急の胃潰瘍薬が効いて、苦痛から免れている。おなじような故障を夫婦前後して感触してきた。
2010 1・21 100
* 三時間余しか寝ていないのは堪えている。食欲は、青菜の餅粥のようなものにだけ有る。今晩は疲れが堪えきれなくなったらやすむことに。それまでは仕事。だが十時半。くらくらするほど眠くなっている。
2010 1・21 100
* 明日は今年初の歯医者へ通うが、あぶらモノの食べられないでいる妻と新年の「リオン」で昼食してくることは出来ない、お預けです。せめてお天気がいいように。
2010 1・22 100
* 終夜眠れず、おきてまた『春雨物語』数編を読み、ことに巻頭の「血かたびら」に心をとられ、高田衛さんの論攷を耽読。おまけにふと手に触れた山本健吉さんの『芭蕉』の頁を繰るとこれがまた面白くて。結局、黒いマゴにもつきあい、六時には床を出て、機械の前で例の「校正」にうちこむ。
就寝前の読書が、どの一冊一冊もなんだかきらきら光るほどに面白くて堪らなかった。『使徒行伝』など初読で、興奮に近いほど。『総説 新約聖書』で関連の研究論文も併せ読んで行くので、やめられない。
直哉の小説と書簡も、旨い具合に時期的に関連して、惹きつける。読む本読む本が、きらきらと透明感のある光り方で迫ってくるなど、珍しい。
* こんなことを続けると、からだはますます傷むだろう。なんとか、セーブしないと。
* 歯医者へ。西武線江古田駅の階段・改札など新しく変わっていてビックリ。歯医者通いを初めて何十年。変わり映えしない古駅でずっと乗降していた。
好天なれど寒さ有り、風有り。行って、寄り道なく帰って、遅い簡単な昼食。食べなければ食べないほど良いような気がしているが。
仕事、今日にもと思ったが、まだ願っていたところまで到達できない。
* とにかくも到達したいところまで、仕事を押し出した。ついで編輯に取りかかる、が。
* なにしろ今夜は眠らねばいけない。
2010 1・23 100
* さらに全体の充実をはかってから「編輯」作業に、終日。もう八時半。入浴して、息をつきたい。
2010 1・24 100
* よく、蹴躓く。わが家の中での事故だけは、ぜひ避けねばならない。用心に用心。
2010 1・27 100
* メールで、風邪を引いている人も、いる。温かに、こころよく睡れますように。
2010 1・27 100
* 暖かいので、どうかなと危ぶみながら、本当に久しぶりに電動自転車で一時間半走ってきた。二度ひやりとし、その一度は緊急ついた右脚が゛攣って痛かった。そして疲れた。初めての静かな田園道も通ってきた。
2010 1・29 100
* 昨夜中、なにか「新音楽」と謂うようなもののコンクール会場に出かけていて、いろんな感想を持ちながらウロウロしているうち、どうかして手にした使い古し郵便の封筒の裏に、かすれたインクの或る名前を見付けた。
むかし高校の同級で、ほとんど親愛も接触もなかった男の、むろん数十年消息をかわしたこともない名前が、やっと判読できた。音楽などと何の縁もない男だった、いい大学を出て電線か何かの会社に勤めたような。
その男の二つ下の妹に、やはり高校の頃、わたしは茶の湯の作法を教えていたことがあった。好ましい、いい子だった。その消息も知れない。妙な夢。
* 怪異めくこわい夢も見掛け、懸命に「いいこと」をたくさん思い出し出しそんな夢から遠のいた。七十半ばの老人の見る夢だろうか。
* 歯医者、そして「リオン」で昼食後、脚を南青山へ伸ばして、のきなみ皆ダメになっている眼鏡を、直近用、機械用、遠・外出用、そして自転車乗りの遮光用、四つともみな作り直した。妻も家内用を新しく作った。もう半年も不自由をかこっていた。やっと青山まで出かけた。
有楽町経由の有楽町線で寄り道なく、帰宅、六時半になった。
家で夕食して少し休息しているうち、もう九時前。疲れた。
気が付いてみると、近用も機械用もみな眼鏡屋に置いてきた。枠とも作り直すので、遠用だけを掛けて帰ってきて、いま、えらく不自由。裸眼で読むしか本も読めない。こりゃこりゃ。
2010 1・30 100
* ゲラの校正ははかどっているが、近用の眼鏡なく、裸眼で読み続けるのが、やや苦痛。
2010 1・31 100
* 夜中、やや急迫を感触したので、枕元に置いた小さな紙筒のコーヒー用砂糖を口に入れた。それで今朝の血糖値は、84。
2010 2・3 101
* 厚着して出て、往きは汗ばんだが帰りは寒かった。ゆうべに、余り気味のミルクの冷たいのをたっぷり呑んだのが響いて、出がけから腹の中が不穏だった。西武の五階はきれいな手洗いが空いているのを覚えていて、ゆっくり使った。
街と乗り物で校正。池袋に戻るとあいにく西武線に人身事故があり待たされて、七時半に帰宅。持って出ていた亡父のノート一冊も読んできた。胸に穴の剔れる心地である。
2010 2・5 101
* 寒風の吹きすさぶ中、歯医者のあと、脚を青山までのばし、出来ていると連絡のあった「眼鏡」を受け取ってきた。この一週間、不十分な遠用眼鏡が一つしかなく、機械に向かうのも、本やノートや新聞を読むのにも、とても不便で閉口した。
新しい遠用、レンズだけ替えた仕事用、読書用、サングラスと、一度に四つ眼鏡を替えた。保谷眼鏡の近くで街履きのラフな靴を二足買った。
強い寒風、空は爽快な晴れ。ノッコノッコと歩いて行ってきた。
* 帰り、原宿駅前までタクシーをつかい、「南国酒家」で中華料理を楽しんだ。多年のうち、ときどき、この店をつかう。店の空気も気に入っているのだ、いいメニュで満足させる。紹興酒もよかった。大きい月餅を三つ買ってきた。
歯医者から、靴屋から、保谷眼鏡から、南国酒家から、帰宅まで、ずうっと校正をつづけていた。それにしても、冷えた。
* ゆうべも、二時頃まで。本を読み、父の遺していたノートを読んだり。
冷え込む一夜で、煖房が消せなかった。糖尿のセイらしい、足先が氷の用に冷え切って痛いほどだったり、カッカと熱く火照ったりする。きのうは、右も左もときどき脚が攣って、堪えてはやり過ごしていた。症状のおさめかたをやっと覚え、以前のようには攣るのを懼れていないが、自転車の時は怖い。
* 今晩は、食事をおさえた。校正の仕上げをほぼ果たした。発送用意をあらかじめ早めにしておかないと、ゲラの進行に追いまくられてしまう。
* 昨晩は好きな藤田まことの「剣客商売」を、今晩はクリント・イーストウッドの「タイトロープ」を観ていた。二、三日前に観たピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」は名画の一つだった。
* もう、日付が変わっている。すこし落ち着いて眠りたい
2010 2・6 101
* 眼鏡を替えて機械への視野は明るいが、異状もある。スクリーン枠の右側が目に見えて(2-3度か)八の字なりに傾いている。その右枠へまっすぐ視線をむけると、逆に左側の枠が左へ同様に傾いて見える。つまりスクリーンが下ひろがりのかすかな台形になっている。そのせいか、右頸から肩へ張り、凝り、痛みが自覚される。やれやれ。機械に向かう専用の眼鏡だけのこと。遠用や裸眼ではスクリーンは正しく横長の長方形になっている。
2010 2・8 101
* どうも機械専用の眼鏡の調子がへんで、四角い枠の右下が八の字なりに、七、八ミリは外へ逸れる。変な頭痛の慢性化は困る。明日、歯医者のあと、また青山まで脚をのばす。三週連続になる。
2010 2・12 101
* 氷雨の中を出て、銀行から松嶋屋へ送金し、歯医者さんへ。来週歌舞伎座の夜へ行くという「葵」先生に、筋書き一冊をさし上げ、季節はずれながら二玄社精製の宋画「秋葵」の原寸レプリカをプレゼント。
治療後も氷雨はやまず、大江戸線新江古田から青山一丁目まで、銀座線に乗り換えて、外苑前。慎重に再度検眼の上、眼鏡は四つとも造り直し。無料。出来たら、また受け取りに来なくては。
雨に根津美術館を断念、空腹をいやしにまたもや妻が贔屓の原宿駅前「南国酒家」で中華料理、紹興酒は二合。戴いた三好徹さんの文庫本を読みながら、と、いいたいが西武線では寝てしまう。帰宅して五時前、まだ氷雨はやまず。
2010 2・13 101
* 溌溂という、ハツラツという言葉、好きだった。生彩に富むる意味で。だが、日々をハツラツと過ごすことが、体力でも気力でもだんだん難しくなっている。或る意味ムリなく、或る意味なさけない。このごろはそれを「お天気」のせいにしている、寒いとか暗いとか。お天気はえらいメイワクだろう。
2010 2・13 101
* 寒い。メガネが手もとになく、機械仕事がしにくくて困る。
2010 2・15 101
* 注文されていた九冊の湖の本に、全部識語と宛名署名して、漸く送れた。こんなに遅れた一因は、なにしろ百冊に余る既刊分を押し入れに小出ししてやみくもに積んである、そういう幾重もの山積みから、目指す第何巻を一冊ずつ見つけ出すのがなかなか大変なので。この頃は目が見えなくて、メガネも幾つもかけ直さないと背表紙の字や巻数字が読めない。それでも無事に送りだせ、ほっとした。注文はどんどん来て欲しい。
待ちわびたか、チョコレートと甘酒とが送られてきた。恐縮して頂戴した。
* 発送の用意と、父遺文への付き合いと、で寒々とした一日が終える。ずっしり疲れている。
2010 2・15 101
* 湖102の再校が出そろい、また、メガネの直しが出来ていると通知があった。メガネ屋は明日が休みの日。校正をもち、午後出かけよう。
2010 2・16 101
* 大江戸線と半蔵門線とで表参道へ出て、メガネ屋へ。四つとも直しを受け取り、大通りの向かいで車を拾って根津美術館へ。「mixi」マイミクの「かめ」さんの日記に刺戟を受けていた。
すっかり新装。展示品を気づかってこの館の照明は暗い方だが、館自体は、さっぱりと明るくなった。すべてマッサラで気持ちがいい。庭園は少し手が入りすぎ、鬱蒼の感は明るんだけれど、足下の覚束なくなった老境には有り難いとも。ただいつも以上に、この根津美術館の庭は、不似合いに巨岩ないし石材をこれでもかと使い過ぎていて、ごつごつ感がきつい。茶室の配置はわるくないが、その美しさに自立性がやや乏しい。雨の日に傘などさしてめぐる方が心優しくなる。
展示は、流石に気が入っていて、みごとだった。陶磁の歴史的な受容が要領よく看てとれたし、応挙は別格に外しての、円山四条派の異才たちの繪も見応えした。多くは鑑蔵の滞りない茶道具たちが、松屋肩付を筆頭に、いつものように目を惹く。豪快な上古の青銅器も、ものすごい魅力。興奮してきて、腰を据えているとからだが参ってしまうと思い、流すように観終えて庭へ出ていった。
* 館のまえに「みやがわ」という天麩羅の店があり、目がけていたが時間が合わず、「YOKUMOKU」の前など歩いて通り抜け、地下鉄銀座線で銀座へ戻ろうとした。校正していて日本橋まで乗り越し、あげく、やはり銀座へ戻って松屋の「つな八」で、特上、職人まかせの天麩羅を頼んだ、これが当たった、「欲をいえば、もう一本あの伊勢海老をね。それなら満点だ」と笑ってきた。有楽町線での帰りは座れず、立ったまま、三好徹さんに戴いた文庫本を、坂本龍馬暗殺の新たな真犯人考証を、読み読み保谷まで。駅からのタクシーはすぐ拾えた。
* あれこれしているまに、もう日付が変わった。
2010 2・17 101
* 郵便局のついでに、田無・東久留米の、いつも遠くからの帰り道で迷ってしまう辺へ自転車で乗り込んだ。
うららかな春日の晴れ。いったいに田園地区で、静か。針一本落としてもひびきそうな心地よい静かさに、酔うようにゆっくり一時間半、往きも帰りもだいたい同じ辺を走ってきた。電動でないときは、急な坂は避けて、激しくも降らず、高くも登らずに、棚の上を横に平たく走って行く。足慣らし程度でよろしく、自動車道はさけて田畑や植木のあいだを縫っていた。今日は、寒気緩んで日ざし明るい。有り難い。
2010 2・20 101
* しばらくぶりに夜中不穏、寝苦しかった。静穏は、なかなか得られない。
父の遺文にも揺すられつづけている。わたしの「夜明け前」も容易でない。
2010 2・21 101
* 下前歯が不愉快に痛み、文字通り閉口。肩の凝る、目の疲れる校正でなしに、いい気分転換がしたかったが、明日は展覧会など観られないし。隅田川の橋を渡りに行くか。
* 痛み止めをのんだせいか、局所の不快感とともにぼんやりした気分もある。今夜は早くやすもう。冬季オリンピックに夢中で感激している人もいるようだが、わたしには気遠い。葛西がラージヒル予選で大ジャンプで一位だったとき、次の幸運を祈ったが、期待は出来なかった。
今回冬のオリンピックは、総じて不成績との予感が動かなかった。
勝つとか負けるとかに興奮するのが少し鬱陶しかった。
藤田まことの死の方が、はるかにわたしを深くで捉えている。荻野目慶子という不気味に臭い演技派女優と競演していた記念番組「追いつめる」も。「理屈にあわなくても」といったか「勘定が合わなくても」といったか「いいでしょ。男と女のことは」と女はモチーフを何度かくり返していた。一度二度で足りているのにと思ったが、このつよい把握が、表現もつよくしていた。大人が書いているなと感じた。ゆうべの「樅の木はのこった」よりも、いま一段人間の剔りを深くしていた。
2010 2・21 101
* 疲れか肩凝りか、歯が浮いている。今日は歯医者の日。女先生の眼下で阿呆口をあいて、観念してくる。
* 絶好のお天気。これが嬉しい。
歯医者の帰り、妻とバスを一駅歩いて、真言宗の東福寺という徳川吉宗鷹狩りの膳所でもあったらしいお寺をのぞいてきた。それから「リオン」に寄り、ゆっくり昼食。食事もワインもデザートも旨かった。
江古田の銀行から、歌舞伎などの観劇料金をみな支払い済みにしてきた。三月、四月、楽しみ。
* 湖の本の校正をはかどらせ、また、亡実父のくわしい遺文目録を仕上げた。相変わらず歯が浮いている。今日こそ早めに寝ようとと思うが、もう十一時。
此処へ書いているヒマがなく、もっぱら「mixi」に久しい「私語」のエッセンスを抜き書きしている。「足あと」が、足ばやにどんどん増えて行く。
2010 2・23 101
* 疲れたか、機械の前でうたた寝していた。夕方だがすこしやすもう。
2010 2・24 101
* よく眠れる。睡眠障害は無い。このところ、つい朝寝が過ぎる。
2010 2・27 101
* また一段落して、すぐ次の手作業へ移動する。
* 肩がきつく張っている。今晩はすこしラクをしたい。
2010 2・27 101
* 『デミアン』を読み、ソクラテスの『国家』を読み、そして床を離れて血糖値を計ると、102。けっこうである。
日本の女子選手が三人ずつで競うスピードスケートで、じつにじつに惜しく一位を逆転され、銀メダルを獲得した、その表彰式を観た。
(こう書いて、何十年のちにも、わたしが「観た」のはテレビで観たのだとあたりまえに分かるだろう。テレビのない時代の人が、上のような記述をもし読めば、わたしを魔法使いだと想うだろう。)
2010 2・28 101
* 快晴、こころよし。一番に散髪、すっきりする。
2010 3・5 102
* うって変わってくらく寒い。やがて雨になりそう、歯医者へ行くのに。
2010 3・6 102
* 「リオン」でゆっくり昼食して、歯医者から帰ってきた。雨。明日も雨か。
* 体調ややすぐれず、夕食後、二時間ほど寝た。入浴して、印刷所と弁護士方へと、メールを二つ送る。
2010 3・6 102
* くらくて寒いと、こうまで行き止まりの道に嵌ったような気になるとは。神経質なことだ。
踝から下、足の先が、痛いほど氷って冷たくなったり、時にはほかほかと、もてあますほど熱くなったりする。今は、とても凍えている。二十七度の煖房でも、倚子での膝下が冷え冷えと。
* 中学に入ったとき、小柄でふっくら、いつも和服で袴の品のいい女先生が担任だった。音楽の先生で、ピアノはときどきトチるのに声楽はみごとな先生で。
その中年の女先生が夢に現れ、引率したわたしたち生徒を、めちゃくちゃにあちこち連れ歩いては、時に着物のカッコウのまま、路上でバクテンしてみせたりする、たまげた夢を見た。
寝る前に十五冊ばかりとっとと本を読んで行くから、ものによって永びいて就寝がおくれるけれども、幸い睡眠障害はなくよく眠る。ただし夢はひっきりなしに見る、途方もない夢ばかり見る。途方なくてもちっとも構わない。たまに不快なのは、イヤだが。夢に、全然重きは置かない、こうして現に「書いている」と思いこんでいるのも、所詮は、夢。
2010 3・9 102
* 段取りよく。発送作業は、もう夕過ぎて、今晩の内に、先が見えてくる。重い本の荷を扱う筋肉労働で、腰の痛みは必至だが、凌いで凌いで済ませて行く。
昨日の夜中、一時間余りきつい腹痛に呻いた。温かい湯と、胃薬と痛み止めで凌いだが、労働が響き、またなにかしら腹が冷え込んだか。一時間ほどの苦悶のあと、緩むように痛みが退いていってくれた。今夜も用心しないと。
* 九時。今日も奮闘。ぎっくり腰気味の妻も、よく働いてくれた。感謝。もう読者のもとへ、届き始めている。
* 今日は、もう、なにも出来ない。明日から、まだ仕残しの大事な作業を一踏ん張りしないと。
2010 3・12 102
* 天気晴朗なれど、風強し。花粉の気配、眼に、鼻に。
2010 3・13 102
* 妻が歯医者への、また整髪への留守に、ジョン・ウエイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、クルト・ユルゲンスらの「ザ・ロンゲストデー」を茫然と観ていたが、午後一時半頃から六時半まで、ぐっすり寝込んでしまった。
2010 3・13 102
* 相当草臥れきったか。今夜は、もう寝る。かすかに腹痛が来ていて、危険。
2010 3・13 102
* やっぱり花粉にやられている。いまぶん、さほど非道くはないが、家の中でこれだからと、少し懼れをなす。
2010 3・15 102
☆ 春めいて来ました。 沙
「湖の本」102 宗遠、茶を語る。ひさしぶりに身構えることなく読みました。息を楽に、安心して。
ところで表紙は、101だけ特別なのでしたっけ。
年相応ていどに元気ですが、記憶に自信がなくて、それを認めてますます自信がなくなって、こわいです。
* 101は変わり映えも求めて表紙繪を思い切り換えたが、これからは、小説とエッセイとか、批評と小説とか、いろいろにバラエティをつけて行きたく、内容次第で在来の三種類の表紙を取り替え取り替えして行きます。あの大胆なヌードで『宗遠、茶を語る』となると、人様を驚かせすぎるかもと。
物忘れは日々イヤほど体験している。今の今そう書こうと頭にあった人の氏名が、次の瞬間には出てこない。そんなこと、しょっちゅう。それをどれほどの時間掛けてまた思い出せるかを、ゲームのように追いかけている。
相応に老人になっているわけだと、物忘れしても、目が霞んでも、腰が痛くても、順調に年よりらしくなっているんだと、むしろ、受け容れている。怖がっていては、やってられません、老人など。
2010 3・15 102
* ま、熟睡して覚めた。朝の目覚め時は、黒いマゴがいつもとても穏やか。おっとりして、身を寄せている。
好天。一日一日、穏やかに過ごしたい。
2010 3・16 102
* また夜中からの胃痛で、起床。クスリも効いてこない。用や仕事のうまく片づかない、先へうまく踏み出せないストレス、か。弱い、弱い。
2010 3・17 102
* 真っ直ぐ帰ってきた。新刊の湖の本へ、どっと反響。あすから、もうすこし、押し出しの仕事をする。腹痛が続かないといいが。 2010 3・17 102
* 夜中、右脚膝下で、骨のように筋肉が細く右外へ張り出て、おさまらず、強い痛みで閉口。むりむり起きて立って、すこし歩いて元へ戻した。この症状、初めての体験かも。攣るのとはちがう感じだった。膝少し上の、もも内の筋肉に指で触れると痛んでビクと痙攣するのが、膝下の外側へ影響するのか。
解体新書の杉田玄白は、老いて五体の故障を具体的に「観察」し、書き留めていた。バグワンも、ひとごとのように「観察」するがいいと語っていた。故障と「一体化しないで対象化する」よう、わたしも気をつけている。しかし痛いのはイヤなもの。
2010 3・18 102
* かすかに冷えているとも想えるが、好天。歯医者へ。
2010 3・20 102
* 寄り道せず、途中パンだけ買って、帰宅。からだの芯から疲れている感じもあり、押して作業しないで、まず一休みしようかと。
2010 3・20 102
* 体調を崩しているとある。そういう人たちのそういうメールをもらうと、胸がきしむ。わたしもこの歳末には後期高齢者の仲間入りと聞いている。いつもいつも元気ハツラツとはとても行かない、ムリはすまいと思う。
2010 3・21 102
* フクザツを極めて雅でも妙でもありげな夢をみつづけた。六時前に黒いマゴに起こされる前にも、また寝のあとでも、夢はさかんにいろいろに繪を描いていた。すっかり朝寝してしまった。
* なにも出来なかった一日。
2010 3・22 102
* 花粉の攻勢は、やっぱり、きつい。たえず目が、ぼてりと重たい。
2010 3・23 102
* 体調優れず、雨の午前、聖路加病院へ。よろしからず。蓄積疲労が慢性化して、心身の活溌を殺いでいる。致し方なし、それならば、そのように。
2010 3・24 102
* 快晴、冷。寝坊の夢。むかしに、キタムラユーイという医学の先生と筑摩書房の編集者とで歓談の折、先生から、筑摩にあるはずの、今はとても手に入らない或る医学の大著をぜひい読みたいという話が出ていた。で、昨日、なんだかお祭りのように通りが雑踏しているなか、筑摩に立ち寄ったので、件の本を借りて行きたいと思ったら、社屋の入り口に近い私物容れのボックスで見付かり、「五万円の保証金で」借りて行けることになった。
ヘンな夢。まず百二十パーセントも過去にも現在にも無縁なことで、縁は、わたしと筑摩書房にだけ有る。こんな先生も知らないし、三人で話したということも無い。筑摩は医学の本屋でなく、わたしのかつて努めた会社こそ医学書院であった。
そういえば、あの狭苦しい社の入り口は、入社当時の本郷の旧社屋に似ていた。
夢は、たしかに奇天烈だ、だから問題にする必要はなく、わたしは無視してタダ面白がったり呆れたりする。
2010 3・30 102
* 昨夜三時半、機械を消したつもりで、(ディスプレーが真っ黒で状態が分からない。)寝た。久しぶりに左脚が猛烈な痛みで攣って、回復にかなりの時間 (20分ほど)悲鳴をあげた。
朝九時前、夜前読めなかった本を十冊ほど読み、朝食後に二階に来ると、ついているはずのない機械が「起動音」を出していて、なんと! ディスプレイが働いていた。バンザイ。感謝。消したはずの機械が再起動し、自力で調整回復してくれていたとしか思われない。機械本体がいつもどおりの音を発しているのだからと一縷の望みをかけていたが、幸運だった。
ああいう事態になってみると、バックアップに幾つも大きな穴のあいているのに気づく。わたしの場合、ホームページや創作類は当然必要として、他にアドレス・ブックの保存が「湖の本」のため絶対必要なのに、手が打てていなかった。青くなった。
安心しきってはいないが、ひとまず息をついて心身をやすめている。
布谷クン手製のいまや愛機を親機に、買ったままほとんど常は音楽や映画以外に使わないノートパソコンを子機として繋いで、親機の内容を子機へ移せるように設定してあったので、かなり助かったものの、移動できる範囲が限定されていて、しかも限定外に現に進行中の創作やメールやアドレスがあった。とんだザル状態。
2010 3・31 102
* いまの自分はお世辞にも好調・順調といえない。停頓し淀んでいる。天気にまで反映し、明るかったのがすぐ薄暗くなる。インスパイアがなく、気分がややに白濁している。
2010 4・3 103
* 血糖値は尋常。曇、冷。今日も、昨日のつづき、励みたい。
2010 4・4 103
* 熟睡して、十時。血糖値正常、天気晴朗、明るい。
2010 4・6 103
* 小雨、歯医者へ。櫻は随処に満開のまま残っているが、曇天下にやや薄暗い。「リオン」休み日のため、池袋のメトプラ八階へ中華料理を目指して。ところが行き慣れた店は無くなり、あとへバイキングの中華料理。バイキングと気付かず入って、仕方なしと腰を据え、しっかり満腹、紹興酒も。雨では何もかも仕方なく、帰宅。
2010 4・7 103
* 夜中、きつい腹痛に悩み、朝六時過ぎまで軽快せず。疲れて、もう三時間ほどを寝る。
* 快晴、朝食ははぶき、気分を変えに電動自転車に妻を乗せ、新座、黒目川、東久留米、ひばりヶ丘と、二時間ばかり、遅櫻をさまざまな道の辺、道の奥に、探訪。
静かな郊外には、まだまだ置き忘れたような大小満開の櫻樹があちこちにはんなり咲き匂っていて、十二分楽しんだ。来たことのない、葵の紋所の浄土寺もあったりして。
黒目川ぞいには、菜の花や大きな枯れ芒や真っ白い木蓮なども。
電動のちからで、さほど疲れもなく帰宅。ひばりヶ丘の和菓子老舗「鉢の木」で買ってきたきんとんを、佳い茶で。
二人乗りの危険を冒しているので、のびやかに心を開放とは行かないが、妻に今年の花を美しく、陽気に見せてやれた。素晴らしい晴天にメタセコイヤが高く高く伸び上がっていたりした。
2010 4・8 103
* さ、腹痛まで起こした仕事の、きのうの続きを。グルダのバッハを静かに聴きながら。
2010 4・8 103
* ふしぎな花、櫻は。保谷駅へ花バスで行く途中の小公園にも、まだ満開といえるほど花やかに木々は色めいていた。
そう東京に詳しくないわたしは、櫻といえば大岡山東工大の豪快な櫻並木に馴染みをえたのを、やはり一番嬉しく懐かしく思う。ものの百二三十メートル有るや無しのメインロードだが、花道の晴れやかさ豊かさには堪能した。花にやや早くても、もうやや盛りを過ぎていても、暖雪紅雲の色合いはとても分厚い。学生や近所の人達が、心おきなく花と遊んでいた。陽気に過ぎ、ときに心騒ぐほどであった。
昨日の保谷近隣、新座や東久留米の探花のサイクリングは実に静かで花やかであったが。
大岡山の花見には、近くの「林」というシチューの店が、ちいさいが声価は響いていて旨い。こういっては悪いが、大岡山には過ぎた名店の風情。ここへだけでも足を向けたくなるほど。
東工大に近く、洗足池がある。心騒ぐとき、此処のそぞろ歩きが佳いものであった。
* 珍しくナイキの運動靴で出掛け、歩行はラクであったのに、やはり疲れかすこし足腰に痛みがきたので、あまり贅沢せず、プリントした姉・川村千代の書簡集に読み耽り、気をかえてまたウォートンの『エイジ・オブ・イノセンス』を読み進みながら帰ってきた。日がだいぶ永くなった。晴れていてよかった。
* 姉の手紙は心温かく、真実心底、慰められる。
2010 4・9 103
* 疲れた。まだ九時過ぎだが、やすみたい。
2010 4・13 103
* どうしてか、仕事の姿勢でか、左の肩と腕がかなり痛んでいる。スキャンの機械が左向こうにあり、頻繁な複写本や原稿の入れ替え作業が響いているらしい。九時過ぎだが、湯につかり、本を読んで休憩とするか。ほんとはもっと仕事を前へ押し出したいのだが。
2010 4・14 103
* 肩がゴリゴリ音のしそうに凝って痛む。機械に向かい続ける姿勢が安定しないのか。
* 明日は、昼過ぎに聖路加の糖尿診察。雨というから、早く帰ってまた機械に向かうのか。やはり明日に、地元病院で検査を受けると云うている人も。平安を祈る。
2010 4・15 103
* 雨。築地へ出る日。
2010 4・16 103
* あんまり寒くて。とても隅田川の川風を浴びる気がせず、鮨の「福音」に入った。八海山で、肴をいろいろ切ってもらい、鮨も六七貫握ってもらった。ぽおっとして機嫌良く店を出ると、直ぐ近くで餅菓子の問屋が特売の旗を出していたので、少しずつ買い、また新富町の駅構内のパン屋で食パンとラスクとを買って帰った。本は吉川幸次郎ら訳の『水滸伝』の文庫第一冊。惹きこまれて行く。
* また生母ふくの短歌を編輯しておいたのを、仔細に読み直していった。母についてかなり多くを知ってきた今は、歌にも素直な読み込みが利いて、一冊の歌集として見なおしても、水準に十分達して個性的な世界になっていると思われた。
糖尿の方、いいですね、このままで行って、但し体重をせめて八十キロまで下げて下さいと毎度のことをまた言われてきたが。
2010 4・16 103
* この二日、家では四国から頂戴した筍を、たっぷりご馳走になっている。妻の腕も働いたのだろうが筍そのものが旨く、筍飯にしたのがしんみり口に合う。今日病院へ弁当として持って行きたいと口にしたほど。
ただし旨い旨いと食べに食べるから、過ぎてしまう。よほどな、食いしん坊。しかし、食べ物が旨いのは幸せだ。
外食をねらい澄まして、しかも不味い食事になったとき、ひどく機嫌を損じてしまう。若いときなら食べ直せば好かったが、今ではすぐ満腹してしまうのでそんな真似ができない、悔しくていっそう機嫌が悪くなる。
2010 4・16 103
* あまり晴れやかなのが嬉しく、一段落の仕事を置いたまま、妻を電動自転車のうしろに載せ、菜種のいまが盛りに美しい落合川、目黒川の遊歩道を往来してきた。
気も晴れ、のびやか。春の気配にうっとりする。二時間近く。帰っての缶ビールがうまかった。
また機械の前へもどったが、快い疲労にビールがまわり、うとうと。
2010 4・17 103
* 煖房がとめふあると、寒い明け方であった、脚がしきりに攣った。
夜中の思案は地獄の入り口。引き込まれそうになると電気をつけ、「水滸伝」の第一冊を読み終え、次々にべつの五冊に少しずつ目を通した。
徒然草に、家を建てるなら夏過ごしよいように、「冬は何とでもなる」と書かれていたのに、暫く考え込んだものだが。冷暖房の器具が家庭に普及しこの辺の感覚が分かりにくくなっている。むかしは火鉢。四方から囲んで一家でかき餅を焼いたり、手遊びしたりして冬の団欒とはそんなふうだった。寝るときは火鉢の炭を、蓋附きの部厚な黒い壺にいれて「から消し」にするか、灰で覆って埋み火にし、薬罐や鉄瓶を五徳に掛けておいた。朝には水が湯になっていた。
2010 4・23 103
* 快天。一仕事して。
江古田まで予約の歯医者に行く。待たされない。センセイと気兼ねなく気が合い、老夫婦して末娘に逢いにゆくような按配。
界隈、静かな住宅と、二、三軒の外からは門構えの居宅に見える小さなお寺。明るく新緑にいま溢れ、鉢の花を上手にたくさん咲かせた家もある。「歯医者の帰り」に撮った花の写真がたくさん機械に入っている。
バス通りの桜並木はすっかり爽やかな翠の葉に変わり、青空の白い雲が柔らかで。天気が良ければいつも遊びの気分で通える医者。もう何十年も。
帰路、例の途中下車して、レストラン「リオン」へ。シェフのいろいろに選んでくれる赤いワインで、旨いフレンチ。小粋なマリネのサーモン、純白に泡立てたジャガイモ味の旨いスープ。そして野菜を煮あしらった真鯛の主菜。珈琲と、デザートはいつものように自家製十種類ほどの菓子から二種切り出してくれる。
リオンで修業してきたシェフとも、若い店の人ともわれわれすっかり仲良しで。自宅の食事のように落ち着ける。値も高くなくて、いつも感心する。
* 社中『水滸伝』を楽しみながら、腰も痛むしと、例の駅前からタクシーで帰って、またすぐ機械の前へ。
生母の手紙をまた数通、じっくりと読んで、吟味。総身に苦汁が湧く。いますこし作の様子を塩梅しようと考え考えする内、そう空腹ではなかったけれど、もう夕食の時間になっていた。
食事終えて、六時三十五分、トツとして、針金ようの力に胸をきりきり、ぐるぐる巻かれる痛み。これと似て瞬時と謂えるほど一過性の痛みを、この数ヶ月内に三度四度五度は感触していて、それかなと思ったが、今日は痛む程度がひどくしつこくて、苦痛もいといと露骨。幸か不幸かアタマの痛みはないが、心筋梗塞か狭心症かと疑われ、舌下錠を二度ふくんでも痛みはむしろ亢進気味、だが脈はやや早めにしっかり強く在る。
安臥してやり過ごそうと床に臥してみたが、まるで効果ない、それどころか不安が募るので、起きた、かすかな吐き気も感じた。手洗いで、じいっと堪えて坐っている内、胸を巻きつけていた痛みの輪が、じりっと下へ、鳩尾から胃のうえへ降りて行った。
もう一度床へもどり、この間からよく繰り返していた夜中の胃痛とも似通ってきそうなので、例の痛み止め「ロキソニン」をぬるい湯で、含み呑む、と……、どうやら、そのまま七時半頃には寝入ったらしい。
気がつくと十時、感触は腹に残っていても痛みは薄れていて、もう無い、と感じられた。
そのとき気がついた、と云うか自己診断したのが、神経性かもしれぬ「胃痙攣」と。
それなら、実の親達の遺品や書簡類を苦悶も半ば抱いて読み始めた去年十二月一日以降、程度はさまざまにも数重ね繰り返してきた「苦痛」と一連の、かなり程度のヒドかった痛みかと「合点」した。
「独り合点」かも知れないが、自身、諒解した。それで機械の前へ来て、記録している。
* もし狭心症や心筋梗塞の方の苦痛であったのなら、救急車を呼んだ方が適切だったろうが、頭はまず落ち着いて働いていたので、結局凌いで過ごした。
* 日付の変わるまで、母の、これこそと謂える長文二通を繰り返し読んで、嚥下。また胃に痛みが這い寄っている。
床へのがれ、本を読んでやすもうと。
この頃は、「水滸伝」「本朝水滸伝」「江戸幻想文学誌」「春雨物語論」「利休の死」「芭蕉」「今昔物語」「もののけ」「老いの微笑」「歌舞伎のチカラ」「新約聖書 コリント前書」「総説新約聖書」「バグワン 一休道歌」「プラトン 国家」「直哉 小説」「直哉 書簡」「ジャン・クリストフ」「フランスでかめろん」を、気の向かうまま、少しずつでも「全部」読む。それから更に今一番楽しい重くない文庫本の「水滸伝」をもう一度好きなだけ読んで読んで、やっと灯を消す。
しかし、また腹痛が確実に来ているぞ。
2010 4・24 103
* かすかに腹部違和の痛みを感じながら、本はみな読んで、さ、寝ようと手洗いから床へ戻って両脚をいれたトタン、突き動かす「悪寒」に襲われた。幸い床は温めてあったので現実の寒さは無かったのに、悪寒と震えは激越、前身が強張って行くのが分かった。手先をほんの少し床から出し外気に触れても震えが走った。気を変えておもしろい本を読もうとしても出来ない。床中へ、行火のほかに温風器で暖気を送りつづけた。一時四十五分から二時半過ぎまで悪寒は安まらなかった。胃けいれんよりも症状が激しかった。
* 実に執拗でややこしい夢を長時間繰り返し見つづけていた。文書の中の真実が、マジックのように、至る所に身を隠すのである。
十時前に起きたが前身の不快感と疲労とはぬけていず、立ち居もゆらゆらしていた。
電気屋が来て、薄暗くなっていた機械部屋の蛍光灯四本を入れ替え、防火用の警報機を柱にとりつけて行った。
☆ 珠です。
湖へ おはようございます。
「私語の刻」を読み、メールを書いています。
昨夜夕食直後からの痛み、私にも消化器系のように読めました。
服用された舌下錠はニトロでしょうか。。
多分、聖路加病院の主治医から胃薬などもでていることと思いますが、気の重い作業中は、主が感じなくてもストレスで消化管は苦悶していると思って下さい。その直後に、食事をして ‘消化’という仕事をさせるのですから、緊急停止もどきの反乱、そして痛みが一番疑わしいです。そして、そのような痛みには消炎鎮痛剤のロキソニンはあまり効きません。むしろ、胃粘膜の負荷になるので、何かしら消化管の動きを整えて保護するような薬を検討してもらった方がよいと思います。
頻発しているとのこと、今後もこの気の重い作業をお続けになるなら、一度胃内視鏡検査を受け、薬の検討をしてもらった方がよいです。食事やお酒を美味しく戴くには、よく働く消化管あってのこと。その消化管を労わるため、是非一度内視鏡検査をお受けになって下さい。この件で何かお困りになることあれば、どうぞ遠慮なくご連絡下さい。
ここのところ、末期の床にある知人の枕元にできるだけ居るようにしていて、メールやmixiを書こうと思っても集中できず、遠のいています。
一つの気がかりが、生活全般に重く垂れ込める雲のようになること、よくよく感じてます。晴れる日のくることも分かる歳になりましたが、晴れかたの色もいろいろ、知ることの多い日々です。
どうぞ、大事にして下さい。湖。寒さの影響もあります。くれぐれも、暖かくして。
お元気で。 珠
* ありがとう。
* なにも出来ないよろよろ、ふらふら状態のまま八度近い風邪熱かもしれぬ発熱もあり、摂食の気も薄れ、全身が痛いので、昼前から、また二時半頃から六時過ぎまであたためた床の中で、昨夜からちっとも様子の変わらない同じ夢をしつこく見つづけていた。口がいがらくなり、尿にも逆らえず、起きて此処へ、機械へ来たが、仕事の続きはとても気力的に無理、また寝室へ戻る。
☆ 胃痙攣 花
心配しています。とても。
自己診断は危険、とは思いますが、今回の風の場合は、そう外れてもいなそうで。
おしごと止めて、とは言えませんから、困ります。
どうか、ラクに、ラクに、お過ごしなさいますよう。
この春は雨が多くて、庭木の新芽が出にくそうにしています。
常緑樹のシマトネリコは、玄関先に毎日たくさん葉を落としてくれますよ。
風、気分転換を上手にしてくださいね。
* 食べていないのに、膨満の不快がある。この辺に難が在るか。ここにいても、ミヤミヤとしたかすかな違和の痛みが感触できる。 2010 4・25 103
* 昨晩来、寝ていた。夜中、床の上で泳げるほど発汗、おかげで一旦はすっきりしたが、すぐまた熱を持った痛みで全身強張り、また寝入った。時間の感覚が掴みにくくなり、昼前に起きて機械の前へ来たが、茫然としていて。
暖かい昼食をとり、また機械の前へ。ま、峠は越したろう…か。
* また不安感兆し、午後も床に入っていたが、夕食後、思い切って機械の前で大きな仕掛けの仕事をちからづく前に押し出した。こころもち分厚いが、端折ることも難しい。
明日、観劇の予定があり厳しい体調だがあえて入浴し…て、パッと寝るというのはどうか。体熱は有る。おでこ火照っている。しかし仕事を四月中に押し切った、印刷所に送れたぶん気持ちいい。
2010 4・26 103
* 昨日おそく、疲労を押し切って「入稿」したのが、体力はともかく「気分」を軽くした。いらいらしなくて済む。のこる四月の四日間で、講演の下準備が大体できるだろう、あとは按配して納得すれば済む。この「四日間」を、なんとか残しておきたかった。
2010 4・27 103
* 芝居がよく弾けて、乾燥した笑いをたくさんくれたので、じわーっとかいていた冷や汗も引いて行き、ほとんど苦痛なく帰ってきた。すこし声が擦れている程度。
ま、これで休める、世間さまも大型の連休でお楽しみであろう、わたしも、一気に山を越えた気安さのまますこし休息しよう。
* このあと暫くのあいだ取り組むのは、「京ことば」で。かなりは薬籠の中に仕舞ってあるが、風通ししておきたい。
「京ことば」を通俗に解説した例は幾らもあるが、肯綮にあたって論じた「質」論は知らない。もっともそういう話をしたら、女子大同窓会に来る小母様大小母様たちはこれ幸いと寝入られましょうなあ。
それでも、いい機会はであり、一冊になるほどに纏めておいていい仕事と思います。
もう一つは幾らなんでもこの辺を、部屋の中を片づけたい。六畳間に一歩踏み込むともう蟹歩きで「J」の字を歩かないと機械の前の倚子に至れない。
また寒くなり頭痛がしてきた。
2010 4・27 103
* それでも比較的熟睡してすこし遅く起きた今朝も、盗汗していた。寒い日。冷たそうな雨。「こどもの日」まで八、九日何の予定も負担も無い。
* 体を励ましながら、本九冊から十数編を必要に応じてスキャンした。これを校正して頭に入れ、そして按配しなければならない。
2010 4・28 103
* 奇妙に艶な滑稽な夢をたぐりたぐり寝過ごして、午を越していたには惘れたが、午後からをたっぷり好きに使い、もう時計の針は十時半過ぎている。
かすかに腹部の不穏を感じないではないが、楽しいことなどを考えたり、実際に予定を立てたり、コクーンや演舞場のチラシを眺めてにこにこしたり。
連休明けの六日には勘三郎や、名子役の鶴松たちを、ちょいと覗きに行く。幕の時間も場所がらもほどよく、あとを、どう、どこで楽しもうかなと。もう呑むと食うとをメインの楽しみに組むのは自粛した方がいいと思っているので、夕景夜景の場所を求めたい。
本命は十三日の演舞場。昼の部、「寺子屋」を海老蔵と染五郎が松王丸と武部源蔵、勘太郎と七之助兄弟が千代と戸浪の女形で対決。先日幸四郎・仁左衛門の、玉三郎・勘三郎のすばらしい『寺子屋』を観たばかりだ、さ、どう肉薄の好演を約束してくれるか。
二番目は好漢勘太郎といまや立女形福助の「吉野山」。分けて優秀な二人の創造力が花やかに物哀れに期待できる。
三番目は妻の喜ぶ力感溢れる実力松緑の「魚屋宗五郎」が、黙阿弥劇の辛味をどうビリリと利かしてくれるに違いない。
キリは染五郎の晴れやかに粋な独り舞台の、所作事「お祭り」です。この優の新著『歌舞伎のチカラ』面白いですよ。
夜の部がまた豪壮哀切「熊谷陣屋」で幕が開く。これまた歌舞伎座四月に吉右衛門、梅玉、富十郎、また藤十郎、魁春という顔ぶれで第一級の舞台を創作したばかり。それを若い染五郎、海老蔵、また歌六、さらに若い若い七之助、松也で演じるのだ、その意気壮と謂うべし。一にかかって、この幕は、期待の市川染五郎がどんな勢いと歌舞伎「チカラ」とで、父幸四郎や叔父吉右衛門の豪快で緻密な藝へ肉薄するかの正念場になる。情に流れず、内なる剛力の姿美しい爆発を期待する。こういう時機を待っていたのだから、わたしは。
次いで踊り達者な松緑がお家藝の「うかれ坊主」を観せる。お祖父さん松緑晩年の「うかれ坊主」に顎の先から浮くほど持っていかれた想い出がある。或る意味で期待一の独り舞台。
大喜利がこれまた「助六」と来たものだ。海老蔵、満を持して身構えている。三浦屋揚巻は四月玉三郎に対抗して、籤取らず次代を担う福助。染五郎が白酒売りで花を添える。四月左団次の意休が絶妙だったが、五月は歌六。この人が梨園の重鎮にのし上がって行く大きな試金石になろう。
ま、多大の期待をかけて楽しみに行くのが礼儀というもの。
2010 4・29 103
* ほんとうに連休が始まるというのに、もう連休は済むのだろうと錯覚するほど、連休とは無関心でいる。
* 昨夜、左脹ら脛に激しい痙攣痛が来て、呻き続けた。二十分ほど軽減せず、そして、すうっと痛み消えていった。
恐怖心もあったけれど、脚から悪い何かを抜く気分で、好天に励まされ、ゆっくり一時間、自転車で、東伏見駅にほど近い武蔵関公園へ行ってきた。何の川であるのか、けっこうな長さで川澱を成している。新緑というより夏を想わせる濃い木立の緑に蔽われ、深い色の細長い長い池が出来ているのを、ゆっくり一周してきたボートを楽しむ人達がたくさんいた。。
2010 5・1 104
* ほんとは、こうノンビリしていられないのだが、ま、いいやと、手の着く範囲内だけを交替交替に進めながら、漫然とこの連休を家でやすんでいる。体調は絶好とは謂えないが、脚がつり、胃が凭れる程度で済んでいるなら、有り難いとする。
今夜も、もうやすみに階下へおりようと。九時前。
2010 5・2 104
* 天気もほどよく、三時から、妻をうしろに載せて、一時間半ほど、ひばりヶ丘から東久留米そして落合川ぞいを自転車で走ってきた。躑躅、皐月、卯の花、花水木、藤、菜種など咲き乱れ、川瀬の音しかしない静かさ。縄文から平安時代までの遺跡をもった史跡もあったり。
2010 5・4 104
* 出来るといいがとぼんやり願っていた本の発送も、幸い順調に終えた。やれ、よしと小さな缶ビール一つで睡魔はわたしをたやすく占領し、機械の前でたわいなく舟を漕いでいた。一気に夏が来た暑さ。なんだい、これは。昼寝がいいようだ。
* 昼寝はしなかったが、夕食後にストンと九時まで寝た。少量のアルコールで、安堵して家では寝入れる。呑んだときは決して自転車で永くは走らない。寐られるときに寐ておくのは、いささか時間的に不規則な暮らしになりがちだが、それでも寐ないより好いように思っている。
お祖母さんの法事で帰られた「珠」さんが、諏訪のお酒を下さった。御柱祭だ。ありがとう。
2010 5・5 104
* 資料やゲラを読みに出掛けなければ。どうしても机のある階下へおりても、目の前でテレビが鳴っていては思案も何も。なんであんなにテレビを付けっぱなしでないと暮らせないのだろう。
来週は月曜歯医者、それに演舞場歌舞伎がある。、次週は夏場所、次いで俳優座があり、そして講演旅行。それらの間に、「湖103」を、桜桃忌メドにうまく進めないと、これが遅れると、七月法廷の心用意に障ってくる。忙しい老人だこと。
2010 5・7 104
* 熟睡した。脚の痛みも軽減している。
2010 5・8 104
* なんとか八頁、頁数を削ぎたく、苦心惨憺。編輯という仕事はこういうこともやってのけねばならない、事業仕分けよりもシンドい。欲しい内容を強いて殺ぐのである、読みに読んで推敲して文章の冗を省いても、きちきちの一冊から「八頁落とす」のは身を切るよう。しかし、一冊二百頁は限度として守らないと、みすみす出血で本体を痛めてしまう。もうここで手放して要再校をとる気でいたのに、呻いて奮発、終日費やして、メドをつけた。疲れた。
これで、明日の一日を頑張れば、次の段階へ、アレにもコレにも手をのばして行ける。家の外へ出て、アタマへ空気を送り込みながら、むだなく日程を睨んでからだをラクにしたい。今日も二度、胃の痛みに襲われ、一度は痛み止めと入浴とで散らし、一度はぬくめたミルクをゆっくり胃に送り込んで宥めた。
* もう日付が替わっている。睡眠不足も胃にこたえている。あすの歯医者をやすんで用事を捗らせ、胃神経のたかぶりを宥めたい。 疲れた。
2010 5・9 104
* あまり静かな心持ちではない。シュンシュン沸騰するものを冷淡そうに眺めるフリをして、落ち着こうと。
一種老人の遊び心なのであろう。
妻は歯医者へ。わたしは、遠い昔の、「母の敗戦」を、今の今のように痛々しく見つめている。
* 前半を「要再校」で送り返した。後半、腹痛を用心しながら読み進んでいる。発送の用意も始めた。今何をすればよく、次には何、この先用意の必要なことは何…と、丁寧に考え考え時間を送り迎えている。
2010 5・10 104
* 雨。血糖値95。たいへん、けっこう。六時間は寝た。出掛けたかった。仕事のため必要でもあり、気持ち安静のためにも楽しみにしていたが、雨。
仕事の進行状況からも今日明日集注しておくと、いい段取りになる。昨夜、ひととおり読書のあと、取り組んでいるゲラ後半を、一通り読み終えた。風変わりな一編の新機軸を、醗酵と純熟へ、一字ずつ一句ずつでも近づけたい。そして、跋も。
演舞場の花形歌舞伎が、近づいている。楽しみ大きく、入れ込むぶん心地よく疲れもするだろう。外歩きとあれこれ思案を兼ねた楽しみは、その後日に。そうこうするうち、講演の日が近くなる。あらまし用意したが、よりよい形へよく整えておかねば。
* 雨やまない。仕事は進んでいる。
2010 5・11 104
* 七時半、快晴。黒いマゴを外へ出してやり。血糖値、98。優良。
今日は街へと思ったのに、マゴを家に入れてやり一緒に二階へ。ズシーンと両脚全体に鈍痛、重い。気を挫かれ、二時間ちかく機械の前にいたが、なんとなく階下へ、なんとなく横になり、なんとなく数冊の本を読んでいる内に寝入ったらしい、気が付くと昼過ぎの二時半。熟睡していた。ま、このところを想えば、適切な休息。
機械の前へ来ると黒いマゴも今朝のまま、ソフアで安眠している。仲のいいことだ。
2010 5・14 104
* とにもかくにも、いまは、目の前へ流れよる必要作業を遅滞なく済ませていくことが、一番の健康法。ストレスで、いつも腹がグチグチ鳴りながらシクシする。
2010 5・15 104
* しっかり進行している。今日のうちにも片づけられることは片づけたい。仕事の山場で、気分集注。一つには、それが体調のためにも気分のためにもいいから。スリ足してワキをかためハズにかかって仕事を土俵の外へ押し出そうという気構え。結句それが精神衛生に好い。ゆるんでいると、くさる。
仕事は、手や腕で小さく囲ってひとりでヒソヒソとすすめるのでなく、ワイワイ喋ってというワケに行かなくても、それほどの気分で何か外からのヒントも掴み取ることが大事。ひとりきりでする仕事は、どうしてもちいさく縮みがちになる。むちゃくちゃクササレても、そうして大きくて広い場所を見つけること。架空の文学仲間を自分で創り出して、適宜にいつも呼び出すように。
* よしという処まで、仕事進めた。あしたは体を動かすことも出来るだろう。
2010 5・18 104
* 雨は帰りの保谷駅から家まで。二十分順番を待って、タクシーに。ほかには、傘要らず。二時間ほど遅れて一人で家を出た分、途中で幾らかの再校三校が出来たし、京都へ発つ前日切符も用意できた。なにもかも、手順よし。
それでも、いまも、腹がシクシクと。おちついて、今夜はもうこのまま、休息を。
2010 5・20 104
* 快晴。夜中、血糖値59に下がり、砂糖と甘栗で回復。
2010 5・21 104
* このところ根をつめにつめてきたので、芯から心身凝っていたとみえ、何時頃からだろう寝入っていた。はつと気が付くと窓の外が白んでいると。違った。好いの七時少し前。妻はピアノの前へ、わたしは独りで夕食。
明日は晴れ間があるだろうか。後半のゲラを持ち、『水滸伝』をもち、グルグルと電車に乗ってこよう。そして少し食べて。
2010 5・24 104
* 一気に校了にして、此処まで来ると、たしかに、疲れたなあという実感がある。先月二十六日に入稿、今日二十六日に責了、こんな「一ヶ月仕事」という集注はかつて一度もなかった。何かの「功」ではない。そう、「心遊んだ」のである、定めた目論見のままに、遅滞も遺漏もなく、遊んだだけのこと。それでも草臥れはした。
一と休息して、明日は散髪。
卆寿をはるかに越えられた染色家三浦景生さんは、会うと白い蓬髪を噴き上げたようで。この数日のわたしは、そんな三浦さんにちょっと似ている。
2010 5・26 104
* 散髪。気持ちすっきり。
2010 5・27 104
* 講演会場の都ホテルまで山上の坂道を歩いて戻ったのが、暑くて息切れして、手足がふるえるほど血圧が上がり気味。用心に持っていった降圧剤を、間隔を少しあけ、二錠のんだ。これがよく効いて回復。
2010 5・30 104
* 快晴。一時間ほどつねより寝坊した。気がかりという用事は、つねに無くならないので、かすかな腹のシクシクも無くなっていない。
2010 5・31 104
* 朝から、ひたすら作業。妻が歯医者への留守、昼食は梅干しを入れた白粥。このごろ、半ば常食のように粥を食している。さ、また作業へ戻る。封筒に住所印などを捺すのもかなり手が痛い。
* 夕食までに力仕事を進め、妻にも手伝って貰って、もう二日もすればほぼ発送用意は出来る。本が出来てくるのは、十四日午後と連絡が来た。すこし気を落ち着けて待てるし、次の用への姿勢も取れる。きつくはないが、ゆらーりゆらーりと慢性に腹痛がくる。ありがたくない。
2010 6・1 105
* このところ心身の違和と不快とをなだめ宥め暮らしているが。ゆっくり湯に漬かってこよう。
2010 6・1 105
* むかし「蘇我殿幻想」の取材で亀戸天満宮を訪れたことがある。久しぶりにもう一度行ってみたいと思っている。地図を観て、そこから十間堀川まで歩いて、川沿いに隅田川まで浅草通りを歩いてみたい、業平橋も渡ってみたいと。
* 今日は予報の雨もなく雷雨もなく。暑さに負け、酒を飲んだ。それから、国立小劇場へ。開場の五分前。
開場して中へ入って、三十分後に開演、開演して河東節の「松竹梅」を聴いているその途中まで胸が苦しく、荒縄でグルグル巻にされた按配、脈は急行電車ように早い。苦痛と不安の中、落ち着いて、持っている血圧降下剤をやや間隔を置きながら、結局三錠のみ、効果の程のややあやしい古いニトロを、やはり間隔をあけて二度飲んだ。よほど危ないなあと思ったが、国宝山彦千子の三味線で河東節の浄瑠璃を聴き惚れている内、いつかかき消すように苦痛が去っていた。助かった。
家を出がけ、玄関で俄かに血圧をはかったとき178もあり、降圧剤を一錠飲んで出掛けた。京都で講演直前に血圧が高いと感じて咄嗟にクスリを飲み、おかげで成功裏に話を聴いて貰えたのだったが、当分、用心しなければならない。
* つづく新内「千手の前」は、米川俊子の箏や田中之雄の琵琶、それに国宝堅田喜三久の鼓も加わって、新内仲三郎が弾き語りで人間国宝の藝をしっかり聴かせた。物語は熟知した平家物語もの。うっとり聴いていた。
NHKのカサイ・アナの司会はとても好きになれないシャベリであったけれど、要領よく曲の妙味を告げ知らせていて、その点はプロであった。
休憩のアト、義太夫「新版歌祭文 野崎村の段」 浄瑠璃は可憐な娘義太夫ならぬ国宝竹本駒之助のオババ義太夫、よくよく筋の知れた名場面であり、鶴澤津賀寿の三味線が安定感抜群、鑑賞に堪え、音も美しかった。さらに終幕、土手と川との野崎詣りをさらに六人の美しい三味線が加わって悲しい場面に賑やかな迫力のツレ弾きは、まこと聴き物であった。嬉しくなった。
そして今夜のトリは、高麗屋松本幸四郎が悠々としかも端然かつ閑雅な風情でくりひろげた「広重八景」、これが美しかった。人間国宝は新内の弾き語りに仲三郎、小鼓に喜三久、加えて上調子の新内仲之介もなかなかよかった。
* 幕になったところへ高麗屋の夫人がみえて、立ち話を少々。会員に推薦した松たか子が、今年のペンの催しに「朗読」してくれると。感謝。
今日は全席自由席と聞いていたのに、前から五列目通路脇の最良の席をもらっていて、幸四郎の踊りがとてもよく目にも胸にも届いた、これまた感謝感謝。
出だしは苦しく不安だったが、帰りは気もしゃんとして、タクシーで市ヶ谷まで行き、地下鉄で幸便に西武線へ直通に乗れて帰ってきたが、保谷で、今日初めて雨に遭った。タクシーが直ぐ来てくれた。
2010 6・4 105
* 自転車で南大泉へ探し尋ねて案内を貰った画展を見に行ったが、どうしても場所が見当たらず、界隈の住宅地をちょうど一時間走って、帰ってきた。
* 昨日の怖いような頻脈と狭心症ふう胸痛の余響でもあるか、終日からだに活気がもどらなかった。そっとやり過ごすように眺めている。幸い十三日まで、わたしはやや休息気味に本の出来を待てる。第三週は、週末まで発送という力仕事が来て、そのあとは、新しい別の用字へまた踏み出して行く。
2010 6・5 105
* やす香が入院までの三月から六月までを忘れたことはない。やす香の死はあの年九月に二十歳になる直前だった。わたしより五十も若かった。
恵まれれば八十九十も珍しくない昨今であるけれど、あと五年十五年は想うだにかなり重い。医者へ医者へと、妻にも友人にも読者にも云われている、決して云われていないのではないが、わたしが動こうとしないのであり、咎は只一人わたしに有る。明記しておく。
☆ お願い 蛍
病気は自力では絶対治せません。自然治癒できるのは擦り傷切り傷くらいだと思います。早く手を打たないと生活の質が悪化します。回復も遅れます。入院やリハビリなどおいやでしょ。
お願いですから、明日にでも病院に行って心臓など循環器の検査をお受けください。診察をお受けください。血圧も高くてはいけません。薬でいつもコントロールしてください。血圧は薬しかありません。それから体重を落とすだけで血圧がぐんと下がります。
言っても無駄とは思いたくありません。もっともっとお幸せにならなくてはいけないのですから。
取り急ぎのお願いです。
* ありがたいことです。感謝感謝。
* 六十にもならずに死んだ兄の、二十歳にも成れずに死んだ孫娘の、ブンまでも生きねばと思い逸ることは、無い。そういうことは或いは兄にも失礼、孫にも過剰な思い入れになる。そんなことなら数年後の「新しい歌舞伎座」で花やかな襲名の数々に立ち会いたいと夢見る方が楽しい。そんな楽しみに力づけられて、もう幾つか小説で「実験」を重ねながら、さらにわたし自身がわたしの度肝を抜くような小説を書いて、せめて親しい読者や知人の動悸を速めてみたいものだ。
* 夕方、疲れて、知らぬ間に寐つぶれていた。
2010 6・6 105
* 新しいパソコンが、ニッチもサッチも行かない。そもそも東工大の昔、機械の使い始めから、変わりなくNECの機械に慣れきっていて、他社の機械だと手も足も出ない。しかし、今度のソニーは使いにくいというのでなく、ハナから使えない。機械にどんなソフトが内蔵されているのかも分からない。建日子の電話ではなんでもOFFICEというのを使うそうだが、わたしの今の機械でも、かつてOFFICEに手を出したことがない。お手上げ。前夜、日付が変わってからいろいろに触れてみたが、ダメ。
そのせいか、寝苦しくて四時半に目が覚めてしまった。眠れない人のメールが来ていて苦笑した。
☆ 睡眠薬をのんでから。 砂
真夜中に、メールというのもよろしくないのですが。星野画廊に、石原薫さんの絵が、そろってあるそうです。機会がありましたら、ご覧になってください。若いころに観たきりなので、いま観たらドンナかなと、思っています。亡くなった麻田浩さんと、同じ頃の人ですが、この方もはやくに亡くなりました。存命なら、どんな絵になっているかな。
南アフリカでの、ワールドカップの試合もみました。日本では考えられない熱気です。もう寝ます。おやすみなさい。
* 眠くなってきた。
* 眠っていられなかった。新刊受け入れには隣家の玄関に積んだ本の山、荷物の山を片づけておかねばならない。取りかかると忽ち腰に激痛が来る。堪えていられる僅かな時間しか作業はムリ。ゆっくりやらない、堪えていられる短時間に一気に決めただけの力仕事をやってしまう。
それからまた機械へ戻って不愉快仕事を一段落まで、やってのける。何のためにこんなこんなことをやってるんだと半ば思い、面白い晩年だともやせ我慢でなく思う。
☆ 忠義水滸伝より
青鬱鬱として山峰は緑を畳(かさ)ね
緑依依として桑柘(そうしゃ)は雲を堆(つ)む。
四辺の流水は孤村を繞り、
幾処の疎篁は小径に沿う。
茅(わら)の簷(のき)は澗(たに)に傍(そ)い、
古き木は林を成す。
籬外には高く酒を沽(う)る旆(はた)を懸け、
柳陰には閑かに魚を釣る船を繋ぐ。 15-88
2010 6・12 105
* とにかく、しかし、眠い。四時半起きがこたえている。それでも一つ好いことがあった。「シャーロット・グレイ」という感銘作を観た。美女ではないがケイト・ウィンスレットの代表作として「タイタニック」を凌ぐのではないか。グググッと泣かされた。戦争の凄さ、国のために、愛のために戦争そのものと闘う市井の男女の不屈。こういう映画が好きだし、つとめてでも観るようにしている。
へとへと。さ、やすもう。
2010 6・12 105
* 十一時半、小雨のなか新刊本が届き、以降六時間、ぶっ続けの荷造り、そして最初の発送を今しがた終えて、痛烈にいま腹痛最中。湯に漬かって胃を温めようと思う。それでも、今日にはこの辺までと予定した全部を送りだせ、満足している。
漠然と、桜桃忌には「次」が送りだせるかなあと思いつつ一冊の編成に手を付けたときにはとてもムリと思っていた。思いながら、機をはずすと裁判の日程が迫って「湖の本」は夏遅くになってしまうが、そうはしたくなかった。
まだ若かった編集者時代にも、物書きで月に十数種の依頼原稿と長編の進行をこなしていたときも、わたしは時に相当な集中力を用いることが、ま、出来た。この後期高齢者と謂われかけている今回も、ちょっと意想外に難儀な仕事と作業とをうまく竪繋ぎ出来た。出来ていなかったら、ホントに胃に穴が空いていたかも知れない。
十九日の桜桃忌には、創刊して二十四年めの当日には、ほぼ第百三巻発送を終えようとしているだろう。そしてもう頭にあるのは、法廷のことではない、次の新しい「小説」をどう心ゆくまで実験できるか、だ。
2010 6・14 105
* 昨日は晩までで作業をやめ、入浴し食事をし、上腹部に膨満痛が来た。横になり、、軽快したかなと起きたところへ、和歌山の親しい読者から電話が来て、話している内に腹痛が満潮のように襲い、電話を切ったアト激しい悪寒をともなう発作が起こり苦悶状態になった。狭心症様の苦痛と腹部の苦痛とをこらえたままニトロと降圧剤と精神安定剤とを間隔を置いて呑み、苦痛は一時間に及んだが、そのまま寝入ったらしく、今朝まで。
痛みはぬけているが脱力して活気なく、コクーンへ勘三郎を観に出掛ける前に立て直せるかどうか。左の肩がきつく張って痛んでいる。
これが現状。
お天気は回復し、戸外は明るいようだ。肩の上に巌を負うたような痛みがある。散髪屋がイツモビックリするほどわたしの肩も背も石のように硬い。
2010 6・15 105
* それでも、渋谷へ、串田和美新演出の「佐倉義民伝」に最前列真ん中でかぶりついてくる。いい気分転換になればよろしいが。
* 串田和美と中村勘三郎だから出かけた。歌舞伎座に掛かればもともと陰々滅々の芝居だ。それをどう渋谷のコクーンでまた一つの現代的別世界に構築するか。
それにしても保谷から渋谷まで、歩くのも大儀で屡々立ち止まり、ガマンならず渋谷駅から歩いて直ぐの文化村まで、タクシーを使った。全身ガチガチに硬く痛く腰にも脚にも厄介な痛みが固まっていた。舞台が始まればと気の変わるのを期待していたが、始まって早々に寄せ来る嘔吐感がありビニール袋にすこし粘状の唾を吐いた。それですこし落ち着き、精神安定剤を二錠、ニトロを二錠、間隔を開けて呑み、降圧剤も二度呑んだ。痛みは和らいで、打ち込んで舞台を楽しめたけれど、五体の硬い窮屈感と腹部のむかむかする違和感は終始収まらなかった。
しかしながら舞台は素晴らしく展開し、串田和美に心から感謝し、勘三郎以下の俳優たちにも席を立って絶讃の拍手を献じたかった。最前列中央上手の通路際に平場の絶好席をもらい、舞台の演技は手に取る如く、しかも少し足を投げ出せて助けられた。
悪しき政治に虐げられ疲弊と飢渇に喘ぐ領民のために、名主宗五は一揆暴発を懸命におさえて果敢に手を拍つが、代官も領主も、また終に直訴に及んだ将軍家綱も、佐倉の宗五ばかりか妻も、稚子の三人も惨殺して憚らない。
串田はこういう状況を、悪性の権力支配と手も脚も出ない民衆との対比に置いて、現代に到る諸事情にまで視野を延ばしながら、宗五郎の生き方に共感と共に当然の批判も加えつつ、断乎とした民衆の戦いに期待する契機をきっちり舞台に残した。群舞というべき多人数のラップの刻みも興奮と共感とを盛り上げた。
* わたしは最前列で思わず声を漏らして泣いた。嗚咽は、舞台の盛んなカーテンコールが果て、劇場の外へ出ても収まらなかった。こんなことは、初めて。
こういう新解釈と歌舞伎の現代化とを、俳優座なども大胆に心がけて欲しい。なまぬるいホームドラマなど俳優座の為すことだろうかと何時も思う。
* 劇場の外へ出てもわたしの体調には元気のしずくもなく、ゆるゆると、よろよろと歩くのが苦痛だった。辛うじて「松川」まで来て体力も必要かと店が自慢の鰻を食べた。ビールも少し呑んだ
鰻の「松川」二階で、瓢の掛花入れの花があまり小気味よいので、写真に撮ると、店内の或る婦人客から「お花のお好きな人は長生きなさいますよ」と声を掛けられた。感謝。
そしてゆるゆると地下を歩いて副都心線を、小竹向原乗り替えで保谷まで帰ってきた。
2010 6・15 105
* 七時半に起き、発送の作業をゆっくり始めた。脱力感とかすかな体熱とで、まともな体調とは謂えないが、ゆっくりゆっくりなら体の方を馴らして行ける。
☆ 体調、すこしはよくなられましたか。大事に、もっとだいじにおすごしになられますように。烏が、2羽でないています。暗いのに目が見えるのかしらん。よーく、ご無事におやすみになられますように。 03:47
* 機械の前で沈み込むように寐てしまう。なさけないヤツ。
* 午前の作業を終えた。午後の作業は適量に抑え、明日に繋ぐ。体疲労を、昼食後すこし寐て回復させよう。
* 二時間寐つぶれたあと、発送の作業を孜孜つづけ、すこしアイサツのコピーを刷り増さないといけなくなって二階へ上がってきた。ひどい暑さと体疲労とでボウとしてるが。
2010 6・16 105
* 夕食までの予定をし終えて送り出し、夕食もーを軽く済ませた。
手洗いへ入っても機械の前でもとめどなくうたた寝している。このまままた少しやすもう。今夜と明日とで九分九厘終えるだろう。 2010 6・16 105
* 夜中二度、上腹部不快から胸痛へ点じて苦しくなり、余儀なくニトロと精神安定剤を一錠ずつ服し、横臥より上半身を起こしている方がややラクなので、妻に背中を広く撫でさすってもらう内に軽快した。三十分ほどでまた胸が痛み始め、同様撫でさすってもらう内に軽快、少し寒気がするので下着二枚の上にもう一枚長袖を着込んで横になった。ぐっしょり汗になったので全て着替えた。朝九時半に起きるとやはりぐっしょり汗で、また着替えて、すぐ朝の作業に入った。
2010 6・17 105
* 午後の発送を終え、少し別口を郵便局へ運べば、今回作業一応終了する。作業場から玄関までも荷を小分けして運び、玄関で宅配用の籠に詰めるという仕方などで、労力を細分化して、妻に随分働いてもらった。わたしは半ばぼうーっとして荷づめをしていた。
いま郵便局へ妻を後ろに乗せて自転車で用事に行ったが、帰りの坂がかつてなく登り切るのに精一杯だった。よほど体力が一時的に落ちていると見える。
しかし、ま、終えた。
この先は、いやおうなく、裁判所へ出廷のこころづもりをする。虚しい時間潰しだが、沢山の資料を点検しておく。それ以前の九日に、聖路加の糖尿診察がある。八日、建日子作・演出の、なにやら時代劇が俳優座劇場であり観にゆく。
*夕方も早いうち、つねより少なめに鮨を出前させたが、一人前が食べきれなかった。舌にいい味がなかった。湯に入ろうと用意を頼んだまま、床に横になり、そのまま十時すぎまで熟睡していた。もう朝かと思った。
2010 6・17 105
* まだ十一時前だが、湯に漬かってから寐よう。なぜか、非道く盗汗する。この暑さなのに、朝起きても、さっき寝覚めても、かすかに肌に粟立つ。そして冷えてくると上腹部が、ついで押し込むように胸が針金をまくように痛み始める。この循環を断ち切りたい。
2010 6・17 105
* 汗になり、肌着を一度取り替えたあとは、めずらしく安眠、八時半になっていた。
発送の作業が済めば、たとえよろよろとでも羽を広げて歩きに出たかったが、妻が歯医者を予約してしまい、しかしそれも、気より、からだが頼りなくて、失礼しようと思う。暑いが、冷房すると違和感が来る。
四日の人間国宝の會から二週間、途中十五日のコクーンでも不調に陥り、いずれも名演・快演のちからに助けられて苦境を凌いだが、連夜夜中の苦痛がつづいたなかで、力仕事の発送を完遂した。完遂は喜びだが、力を使い果たした気味もあり、体力回復のためここ三日は心を解いて休息し、月曜、弁護士との打合せに備えたい。度外れた暑さが難敵として加わってくる。
祝融は南より来りて火龍を鞭うち
火旗は燄燄と天を焼いて紅なり
日輪は午に当りて凝りて去らず
万国は紅爐の中に在るが如し
五岳の翠は乾きて雲彩(くも)は滅(き)え
陽侯は海底にて波の竭(か)るるを愁う
何(い)つか当(まさ)に一夕金風(あきかぜ)の起こりて
我が為めに天下の熱を掃除せん
ことを、水滸伝に借りて願いたい。
* 昼食後、三時間近く寝入っていた。寐て回復しているのか、生気を喪っているのか、分からない。必要なのは、喜ばしい、嬉しいという「栄養」だが、どう探せばいいのか。
2010 6・18 105
* こんどの『私』は、私の成長年齢の順とも気付かず(或いは気づきながら)、目次にずらりとならんだ三十二の「随筆」の題に、楽しい読み物とまず受け容れてくれた(或いはそのフリをされている)読者が多い。著者の作戦というか意図はまず前線のところで成功している。問題は、それから、ですが。やっぱりはらのシクシクはおさまらない。
2010 6・20 105
* 建日子、夜前帰宅、わたしに呉れた新しい「優秀機」じつに軽い新機にインターネット等の手続きを全てしてくれ、此の機械から、ホームページなどを移転してくれた。その機械は何処へでも持ち出せるので、隣の書斎へこもって仕事が可能だし、どちらの機械からも内容を簡単に双方へ移動・移転できる(らしい)、まだ実地に試みていないが。
以前から何に使うのか分からない小さい細いチップのようなものを持てあまして棄てずに抽斗に入れていたのが、なんとも便利で強力なツールらしいことも分かった。名前も知らない、聞いても覚えにくい。
おかげで、もしこのまま入院しても、携帯電話を持たなくて済む、此の機械でも自由にメール交換出来るらしいし、ワープロソフトを用いて書き仕事も出来る。ホームページも使える。建日子自身が今使っている同様の機械より遙かに軽量で機能は数倍も十倍もいいんだとか。
ありがとう。
* 建日子、明けの四時頃まで台所で自分の機械を使い続けていた。わたしは、眠れなくて。血糖値を計ると、44、これは低血糖の新記録。なかば茫然のまま、白砂糖を二匙嘗め、カステラを一切れ、ミルクをカツプ二杯、サクランボを数顆、口にして回復。白砂糖って、なんて美味いんだ。やっぱり戦時の、砂糖無し幼児のからだをまだしているのだろうか。
* 九時、建日子の車で妻もともに、新宿へ向かう。昼過ぎまで牧野事務所で打合せ。
54階の聘珍樓で三人で昼食後、建日子とビルの下で別れ、大江戸線で帰ってきた。梅雨の晴れ間というには、あまりぎらぎら照りつけていた。
2010 6・21 105
* 三時頃に、ことんと床に臥し、七時におこされるまで熟睡、朝かとまちがえた。熟睡はいい、夢も穏やかで。
* 今日の日本は、サッカー、サッカー。大騒ぎ。
2010 6・25 105
* 休んでいた歯医者へ久しぶりに。左の上に虫歯が有るようで。やれやれ。
* 帰りにコレも久々になる「リオン」でうまい昼食、ワインも。ほんとうの常連になって、なんだかマスターが甥かなんぞのように。湖の本をよろこんで読んでくれる。「むずかしい字を覚えます」なんか云っちゃって。
2010 6・26 105
* 夕方二時間半ばかり熟睡した。湿気と高温からからだを救い出すのに、眠れるのは天恵。食欲は、ある。さすがにビールがいいが、昨日は珍しく冷えた白ワインを。口当たりのよさを求めてしまう。腹のしくしくは。軽微に、いつも有るといえば有る。冷房に弱い。腹を冷やすと弱いのは子供の頃から。
2010 6・28 105
* 雨に降られるかなあと半ば覚悟して街へ出歩きに行った。正直の処は歩くよりも目を通して読んでおきたいものを読み返していた。往きの西武で、ちょっと気がかりなトイレ入りしたが問題なく、同じ階の初めて知った小食堂で風変わりなメキシコ飯を食ってから、気の向くまま。
* さしもの隅田川本流では、永代橋、そして櫻橋、白髯橋、そして千住大橋を徒渡りし残しているだけ。もう慌てることはない、気儘に流れに沿うて時に蹣跚とした足どりと気儘な休みとで。今日のような降りそうで降らずに隅田川の曇り空、意外に暑過ぎもしなくて。ポロシャツ一枚の胸にタオルを入れていると汗が吸い取られて想像以上の効果。
それでも降られたくないと、早めに保谷へ。なんでも飯能の辺で土砂降りで電車が止まっていると聞き、駅で買い物などせず、一目散に待っていたタクシーに飛び乗った。家で冷えたビールと焼ギョウザが久しぶりに美味かった。
2010 6・29 105
* 目をとじるとそのまますうっと機械の前で寝入ってしまう。まどろみが幸せ。そのまま目が覚めずにすめば、我が侭だけれど、いいのに‥と静かに思う。
* 妻は歯医者に行く。わたしも行く約束だがその気にならない。家にいてもとくべつ何もしない、できないのだが、家にいて黙って放心していたい。
2010 7・6 106
* 気をよくして、今夜はもうやすもう。あすもガンバラねばならぬ。目が霞んでいる。
2010 7・6 106
* 夜前、腹痛があり、ひどくはならなかったが寝苦しく、モルゴンの旅に同行して思い慰めた。
彼の「偉大なる者」の王国には、魅力的な幾つかの国と魅力的な領国支配者たちがいる。昨夜から今朝へ、最も魅力的な一人、オスターランドの狼王ハールとヘドのモルゴンの初対面を喜んだ。こんなに繰り返し読んでいるのに、まだまだ気づけないでいた精微な大作の意図や伏線がないし複線が見えてくる。それほどの大作でもあり、それほどの巧緻な組み立てと進行とを、作者マキリップは悠々と実現している。いやいや作者などという存在をわたしは感触しない。世界そのものを腹中へ呑み込んで、ともに生きている。じつは、この世界は深刻な深刻な危機に臨んでいるのに、モルゴンはそれとの対決をいわば頑固な思想として拒絶しているのだ、今は。
この世界へわたしは溶けて入りたい、どんなに危険であっても。なにが魅力か。自然の底深さであろう、か。人間の叡智か。平和の難しさが露わになるにつれ、て人間はなにを自身に課して歩んで行くか。
* 朝、6時前に血糖値を計った。108。懸命にコントロールしている。すぐ、放っておけない要事に立ち向かい、あまり心の寒さに、いま、「マドレデウス」を聴いている。なよやかに輝いた繊細なこの女声とともにいると、わたしは孤りでない。ポルトガルの言葉は一言も分からないが。「O Olhar」というとても好きな歌をいま歌っている。目を閉じ、静かに静かにわたしは沈んで行く。
2010 7・8 106
* 劇場の外で、建日子の肩を、とんとん叩いてきた。どこへも寄らずに妻と帰ってきた。気が晴れた。
* 愉快に気が晴れ、建日子の勉強ぶりにすくなからず励まされて帰ってくると、一転して、娘夫婦の父・わたくしに対する罵倒の陳述書を読まねばならなかった。情け無い。
わたしの陳述書は、理路を分け問題を整理するのを目的で書いている。やれやれ。
* ああ、疲れた。明日は病院へ行く。
2010 7・8 106
* 足の攣りで七時前にめざめた。ゆうべが遅く、疲労が失せなくて血糖値、やや高い。早めに病院へ向かう。
* 病院での成績はわるくなかった。どこへも寄らず一時過ぎには家に帰っていた。病院でも、往復の乗り物でも、夢中で『星を帯びし者』を読んでいた。ヘドのモルゴンの旅は益々遙かなものになり、死の危険はひっきりなしに身に迫っている。狼王ダナンのもとで、ヴェスタ(大鹿)への変身を習い、いまはまたハールのもとで、三つの星の秘密に導かれながら、深刻をきわめた世界の崩壊の危険と懼れとでモルゴンはいっそうの飛躍を強いられている。
* 家に帰ると、すぐ不愉快な要事に埋没を強いられる。もう八時だ、汗を流してまた更に。
* がまんならない。眠い。
2010 7・9 106
* 激しい左下肢の攣縮で叫んで起きた。妻の支えでともあれ戻ったが、痛みは残っている。慢性の持病になっている。数えたてれば他にも幾らもある。なにもかも老いに押しつけてはいけない、わたしの不摂生にも理由は有るのだろう、が、成るように成りつつあるのだと受け容れている。けれど、攣縮は痛い。
2010 7・10 106
* 六時間、やすみなく、アタマを不愉快の樽につっこんで、ドボ漬にしている。草臥れているが、一段落まで漕ぎ着けておきたい。
* もう限界。
林君から、転送ソフトへの助言が届いている。が、やはりうまく行かない、言われている通り、が、出来ないので閉口。落ち着いてやらなくては。
2010 7・10 106
* よく寐た。八時前の血糖値118、まあまあ。九時。なにより投票を先ず済ませてきたい。
2010 7・11 106
* 夜前、四時頃、全身に汗して、いつもより異質の顫動が来た。よほど睡いのだとそのまま、寝付こうとしたが、ふらりと、念のために血糖値を計りに起きた。40。体験したことのない、危険きわまる低血糖値、そのまま寐ていたりしたらショックを起こしてしまったろう、急いで白砂糖を二匙三匙口に含み、ミルクを二カップ呑んだ。固形物は摂らなかった。低血糖状態はそれでとにかく回復すると識っているので寐た。妻も驚くほどよく寐ていて、早起き出来なかった、九時。
このところは低いけれどと、血圧を計った。上が、168。これも高い。なにやらボウっとしているワケだ。降圧剤嚥む。
2010 7・12 106
* 聖路加、二時予約の眼科へ、一時に入った。簡単な検査と診察も簡単。しかし三時半。診察券を落としてしまっていたが、支払いの時に届けられているのが分かった。
帰りに有楽町の帝劇モール「きく川」で盛大に鰻を食い、菊正を二合。もう梅雨も明けるか。疲労の底は深い。もう少し熟睡したい感じ。
2010 7・15 106
* いいお天気。ほんとうはカメラを持って晴れやかに出掛けたかったが、芯の疲れがまだ凝っている。
昨日眼科の外来に腰掛けた頃から、腹に激痛が来て脂汗がにじんだ。受付に訴えて処置を頼もうかな思いつつ、持ち合わせの漢方胃腸薬とバファリン一錠を含んでお茶を飲むか呑まぬうちに、ふうっと緩解してゆくのが分かり、やがて何でもなくなった。疲れであったろう。
三時間待った診察のあと、ことしは土用の鰻が足りないという報道を思い出して、帝劇モールの「きく川」で盛大に食って呑んで、なんでもなかった。
2010 7・16 106
* この暑さ。血糖値まずまず、便通良好。午前、歯医者に通う。出掛ける前から、家の中で汗みずく。
暑かろうと、家も外も同じ。出掛けるときは出掛け、出掛けたいなら元気に出掛ける。そういう夏にするより仕方ない。
* 積乱雲。底の抜けたような青空。照りつける日ざしに汗乾き、少年の昔の夏甦る。眩しくすすむ鉾巡幸。武徳会への水泳。疎開先赤土の山原での遊び。小川の狭い淀での水遊び。凄い夕立。行水の盥の縁をわたって行った青大将。あぜ道へ渠を跳び越えた目の前の蝮。降りしきる蝉の声。闇の底から夜空へふき上げる蛙の声。
* 「リオン」開店七年を祝ってシャンパンのサービス、ご祝儀をはずんでくる。オードブル、スープ、鴨の料理そしてワイン。美味しい。一昨日買って帰った服、七十四妻の白いパンツに華やかに似合っていた。
2010 7・17 106
☆ お元気ですか。 泉
ギラギラの真夏に突入、暑いですね。毎年降られる祇園祭、今年は晴れたのかしら。
もう2ヶ月間も腰痛を抱えた家人の世話です。幸い、寝込まない程度なので、私の精神衛生上、運動は口実程度にランチとお喋りの週一の都内外出は欠かしません。気温高めの季節は比較的体調が良く、よく動き廻って、翌日は心地よい筋肉痛です。
ハイ、歳は弁えています故、心配ご無用に。 眠くて気だるい3時です。
* わたしも常習の久しい腰痛持ちですが、対症的には「ロキソニン」「バファリン」といった痛み止めが有効で、漢方薬もつづけて服用すると効きます。
またわたしの場合、右が痛ければ右へ敢えて負荷を懸け、後ろなら後ろへ、左なら左へ負荷を懸けると、やがて著しく緩解します。ずうっと逆へ、痛みの反対側へ負荷を懸けてかえって非道くしていました。体験的に観察を重ねて、見つけました。今は、腰痛とかなり仲良くできています。但し人により原因によるでしょうが。
今は攣縮、つまり、こむら返りに相変わらず怯えます。それでも、ゆっくりの街歩きや川沿いの橋わたりも楽しめています。
糖尿病にめげず、注射も薬も几帳面以上に励行しながら、酒も食い物もほぼ無制限に楽しんでいます。病院での診察時成績は悪くならずに、時に褒めてもらいます。
「書き」仕事は少しも変わりなく、むしろ楽しんでいます。次から次へ自分を見つめ直す新しい材料が目の前へやってきます。置き去りにしてきた自分の人生を今時分になって真っ直ぐ見つめています。
自転車は危険なので、ほとんどやめています、暑いからでもあるが。かといって他の運動もしていません。機械の前に腰掛けていても、少しも腰痛にならないので助かります。パソコンを今は三台つかい、スキャナもプリンタも屡々活動してくれます。
外出は、通院と歯医者と、芝居と、独り歩き。月に十回ぐらいかな。ステッキが欲しいな。似合わないけど帽子も。少しも変わらず旺盛に読書も楽しみます。人とは、ほとんど直には接しません。互いの安全のためにも、家内と二人一緒によく出ています。
息子は、小説本と連続ドラマと舞台「秦組」とで超忙しく、それでも親父たちを芝居によんで呉れ、新鋭の機械を買って呉れたり、法廷や弁護士事務所へも運転手なみに付き合って呉れます。すっかり、いい「創り手・作家」になりました。
どうぞ、元気いっぱいの老境を健康に過ごしてください。わたしのように、よれよれのよろよろでも、それなりの元気は可能なのですから。過去より「いま・ここ」の元気を楽しみませんか。
京都のもとの都ホテルでの講演も、たくさん拍手をもらってきたし、もう外向きの仕事などムダな疲れ仕事はやめて、好きなこと、したいことをして過ごしています。病気とも仲よく。 湖
2010 7・18 106
* メガネをかけた鼻梁に紙を小さく一つかみ捻って挟むと視野がとてもクリアになる。右目にすこし白内障が進んでいるのではと自覚しているので、目薬も欠かさないが、読書の量を減らそうとしている。階下と二階とでどうしても一日二十冊ほどに目を、たとえ少しずつでも通しているのを、半分に減らした方がいいだろう。わたししの生命線が目ぢからにあることは明白。
2010 7・20 106
* 聖路加病院で優に二十年余もお世話になっていた妻の主治医が、引退される。引き継ぐに必要有る患者は引き継がれるらしいが、五パーセントほどのほぼ大丈夫とみられる妻のような患者は、地元の医療施設へ紹介状が出て引き継がれることとなり、今日は一応最終の診察日となった。妻にとって「聖路加時代」という大時代に幕がおりる。淋しいこととも、それほどに健康を維持し得てきて喜ばしいとも謂える。
幸い、ごくと謂って言い過ぎでない近くに比較的大きな病院があり、院長先生が診療を引き受けてくれている。わたしが自転車で運べば数分で行ける。歩いても知れている。
一時代を通りすぎてゆく。
わたしの聖路加は十年やや過ぎたが、継続。「十年で死にますよ」とおどされていたが、幸い、十年過ぎた。糖尿病も眼科も、いっそ楽しんで通院するぐらいに考えている。
2010 7・22 106
* 今日もまた沼袋の歯医者に通う。熱中症にぐらいたちまちなりそうな炎暑に燃えたような変ないろいろの帽子をかぶって行くと若い女先生にいきなり笑われた。いかん。
この暑いのに、江古田でわざわざ久しぶりにラーメンを食べた。妻の分も半分食った。暑さにバテていたのだろう。
2010 7・24 106
* ま、早起きして午前中に「仕事」をし、午後はあれこれしながら、二時間ほど昼寝。四時過ぎにはやや日がかげっていたので、近所へ買い物に出る気で自転車で出たまま、あてどなく乗り回しているうち、意外と遠くへきてしまい道に迷いだして閉口した。幸い黒目川に行き当たり、ここでも反対方向の下流へ走り出して途中で引き返したり。
落合と黒目との合流点からは落合川ぞいを溯ってようやく馴染みの地点に戻ってきた。そこからは、目をつむってでも帰れた。電動でない方に乗っていて、存外の長時間運動をした。
2010 7・25 106
* このところ朝の血糖値が100を切ることがある。むろんクスリでリードしているからで、何にも無しでそうではない、依然わたしは糖尿病患者なのである。インシュリン注射と三種類の錠剤をきっちり用いている。体調の気分的な「基準を朝」と決め、朝の血糖値を110以下の「優」常態を極力維持しようとし、わるくても125未満の「良」限界内にいようと努めている。コントロールしている。大きくは逸脱しないで暮らせている。
その一方、食べ物や飲み物の制限はおよそ何もしていない。ウイスキーも酒も焼酎もビールも、無茶飲みはしないが、遠慮はしていない。うまいと感じれば一人前の鰻重に正二合の「菊正」をさらりと呑んで酔いもせず街から帰ってくる。いちばんいけないと言われる好きな天麩羅もときどき美味い店に入ってくる。いいのかよくないのかの自己診断は出来ない、ただ朝の血糖値が100前後を維持できるようにしている。それが生活の基本軸かのように。
医者は血糖値よりももう一つ「他の値」をうるさく気にしてくれる。それが、8を越したりすると叱られるが、この半年7.0で、6.8のこともあった。それがどういう値なのか、ほんとにいいのか、マアマアなのかは知らない。
食べ物の量が減っている気がする。平気で一とコース食べられていた洋食が、デザートになるともう満腹で遠慮したくなったり。自然に食べ嵩の減ってきているのはワルイことでない。
ナニを気に懸け、日々過ごしているか。
一つ、気力。一つ、楽しむ。一つ、気儘で、習慣に泥(なず)まないこと。一つ、創り出す工夫。
おしまいのを一等先に置きたいが、自身を窮屈にしないために、シンガリで宜しいと。
2010 7・26 106
* 雨。すこし涼しい。駅の方まで用足しに出た。二人で出ると、手が四つある。そういう機会に冷蔵庫などを満たす買い物をしてくる。もうこの頃は駅との間を歩かない。往きは時間を見計らい近くから市の花バスに乗り、帰りは玄関までタクシーを使う。相当の買い物をしてもラクに帰れる。ひどい雨でなかったし涼しいのが有り難い。
* じいっと、思い想う。我ありと納得するためでは、ない。
2010 7・29 106
* ほかに、直哉書簡集の昭和十二年、総説新約聖書と聖書との「テモテ前書」、今昔物語、ジャン・クリストフ、本朝水滸伝の巻三十八、もののけ上巻、フランスでかめろん、山本健吉の芭蕉を読んでいってから、身を起こし、秦の親達に挨拶し、血糖値105をキツチンで確かめた。七時時十分。妻と朝食。そして機械の前へ来た。入院する人をメールで激励。
さ、今日も、スキャンという根気の仕事を躊躇いなく進めよう、先ずは。
* 原稿を、たくさんスキャンした。
2010 7・30 106
* 一日、いろんな「仕事」を代わる代わる前へ前へ押し出してきた。思わず、フウッと息を吐く。肩が凝り、脚が張り、歯が浮いてくる。目も霞みかける。首の根が重くて振り向くこともしづらいが、気はシャンとしている。
* こういう時、仕事の交通整理と、その一つ一つを前へ押し出して行くためのアタマの回転が大事になるが、それには、ぼやーっとした放心の時がだいじ。急ぐのは、よくない。
* 熟睡したい。
2010 8・2 107
* 妻の、新しい病院での受診時代が今日からはじまる。恙ない長命を祈ります。
* どこにいても、どこへ出掛けても、クーラーの世界。この熱暑である余儀ないことだ、が、必要以上に塵埃の巣のなかで呼吸している。自然、のどを、肺をやられて行く。いがらい咳が絶えなくなっている。意図して含嗽剤やのどあめのお世話になる。夜中にも、たとえ空清機能を働かしていても、空気の動き一つで朝に目覚めると喉がざらざらしている。用心しなくては、わたしはことに喉が弱い。
* 昨夜、思いがけず23度というクーラーの下にいるうち、激しい腹痛が来て閉口した。痛み止めは効かない。胃の上を温湿布し、湯と、温めたミルクとを飲み、痛みをこらえながら疲れで寝入った。目覚めたときはもう痛みは散っていた。わたしは小さい頃からよくお腹を冷やしてはお腹痛をおこした。冷えに弱い。
* 一日、校正していた。校正とは、読み返すことでもあり、わるくない、おもしろい、時に嬉しく時にぐったりもくる自己批評になる。このところ、過剰になりがちに視力を使っている。もう少し、もう少し。仕事に欲が出ると、生理的には負担が増す。それがわたしの生活なのだから。
2010 8・4 107
* 汲んでも汲んでも湧いてくる泉のように、追えば逃げて行く地平線のように、仕事が片づかないで眼が霞むほど夕方まで、晩まで同じひと筋の仕事を続けていた。それはそれですべて「文学」からみの検討や吟味の仕事であるから、難しくもあり楽しくもある。
2010 8・6 107
* 何というモノか、妻にあてがわれ、頸に、空色したネクタイようのものを巻いている。両端は結びの部分。真ん中当たりにたっぷり水を含ませておいて頸に巻くと、かなりの時間ひんやりしている。これが日盛りの外歩きで相当モノを言う。長持ちもするし、温んできても裏返すとひやりと。また水さえあればいつでも新たに水気をたっぷり含ませられる。これと帽子とで、あまり暑さも気にならずに外出していたのだった。
* 明日はまた歯医者さん。もう日付が変わっている。建日子とたくさん話して、元気。
2010 8・6 107
* 日照りにひるまず、歯医者まで。首に「マジクール」を巻いていると首筋にひりひりと汗だまりができず、これが有り難い。帽子をかぶっているので頭頂の焦げな苦痛もない。帰りに、見覚えたスタンドのラーメン屋で、手揉みラーメンとギョウザ一皿に生ビールで遅めのほどよい昼食。
* デンタルの待合に週刊朝日が置いてあり、妻が手にとってあいた頁が、見開き二頁のつかこうへい追悼インタビュー記事だった。と、インタビューされて「つか先生」を語っているのが秦建日子なので親はビックリした。要点を押さえてしっかり話していた。週刊朝日ほどの場所で建日子がきっちりした話しをしているのを見たのは初めて。
* 歯医者の前に六時起き、せっせと仕事。帰ってきてからも休まずに仕事。もう一息で一つ大きい山を越える。
2010 8・7 107
* 終日、一つの仕事に没頭していた。眼は霞んでしまっている。精神安定剤をついに一度用い、左胸の軽度の圧痛を感覚しながらやり過ごした。もう休んだ方がいい。
2010 8・10 107
☆ 残暑お見舞い
お元気ですか、みづうみ。
珍妙な帽子と愛の首輪をつけて歩いていらっしゃるみづうみのお姿拝見したいです。ふふふ。
マーラー、いいでしょう。
わたくしは暑いのは勘弁で、必要最少限の外出、それも朝か夕方しかしていません。丈夫なだけが取り柄のわが家の猫まで初めて夏バテしましたので、今年の暑さがいかに異常かがわかります。
でも、出かけないのでクーラーの中で思い切り物書きに集中出来るのは幸い。週末からは夫の里で「お嫁さん」の予定です。
腹痛は如何ですか。痛み止めの効かないほどの時は、救急車を使ってでも診察にいかれますようお願い申し上げます。繰り返す腹痛なんて、自然治癒するものではありません。どうか色々お大切にお過ごしくださいませ。
早く酷暑が通り過ぎますように。 アベリア
* 湖の本の入稿を終えたところで、労力もいる仕事にうちこみ、ま、からだを壊さぬようにしよう。
2010 8・10 107
* 帰宅後も「仕事」に没頭し気が付くと三時とはね。ビックリ。 2010 8・11 107
* それでも七時に起き、もう午後二時、ずっと仕事をしていた。
* やがて十時。目が霞みきっている。
* 睡眠も不足している。そろそろ機械から離れる。
2010 8・12 107
* 夜前来、熟睡。寝る前に「銀河鉄道999」の最終回を観ているうちに体が冷え、冷えるとおきやすい腹痛に襲われ初めて腹を温め着物を替え、妻に背中をさすってもらう内に軽快した。熟睡が来た。夢はみていたが忘れている。
2010 8・14 107
* この数日の視力の酷使はすさまじく、夜の床に就く時分はメガネの儘でも視野は霞みきっている。それからの裸眼の読書は、出来なくはないが、半量ほどに減らし、かわりに、東工大で買った複合機能のラジを持ち出し、三遊亭圓生の「圓生百席」を当分耳で聴くことにした。昨日は入浴しながら「文七元結」を聴き、今朝は起床前に「山崎屋」を聴いた。たっぷりと長枕を圓生は置いてくれる。これでわたしはどんなにたくさん勉強したか知れない。それに前にもサゲのあとにも、悠々と美しい音曲を、それはもういろいろ聴かせてくれる。
圓生は爆笑させる名人ではなくじっくりと噺して聴かせる「噺し」の名人。わたしはそれを心ゆくまで楽しむ。この十数年は妻も私も歌舞伎座に奉公していたようなものだから、ひとしお圓生の噺がしみじみと面白く分かる。視力をいたわるために、圓生百席の偉業・遺業にまた触れるというのは嬉しい名案ではないか。
2010 8・15 107
* 近くのレストランへ席を予約して六時にでかけ、夕食。満腹してかるく腹痛。なんのこっちや。この店はなかなか美味しい、が、このごろコース料理を通して食べると満腹が過ぎる。
ここへは孫のやす香も妹も一緒に来て、賑やかに談笑の記憶がまざまざと老祖父母にある。懐かしいが、いたましい。
妹の方は今年から大学に進む齢だが、噂にも、何も聞こえてこなくて、とても心配している。クラーク記念国際高校はもう卒業したであろう、心ゆく日々を送っていてくれるといい。親は親。たった独りのこされた孫娘に祖父母は、せいいっぱいのこともしてやりたい。消息が知りたい。
2010 8・17 107
* 昨日の晩食後から腹痛に苦しみ始め、午前一時ごろ激しい悪寒、血圧あがり、洗面器に一杯も嘔吐、全身痛み、発熱九度で冷やしづめ、あわや救急車呼ぶところ、寐てしまえたので、朝までにやや軽快し、熱も八度ちかいところへ下がっていた。肩に膝に痛みと無力感があり、床からの起ち居が出来ない、ふらふらで。
いよいよ老躯に全面的にガタが来たのかも知れない。しておくべき要事が幾つもある。急がねばならぬ。この年齢である、病院の病牀に這い上がるより、機械の前や戸外でしておかねばならぬ事、それが先。私たちの代わりに動き回ってくれる人手のないのがきつい。
* 明日には街歩きを楽しもうと思っていたが、自重。幸い不快な要事も十日ほどかけたか、ひとまずし終えてあるので、腹を冷やさぬようにして、今日は床に就く。妻は近くの病院で、聖路加から転院後の初検査・診察に出掛けた。電動自転車で送るつもりだったのに、厳重注意で断られた。ふらふらでは仕方がない。
2010 8・18 107
* ふと目覚めたら午後五時だった。そのまままた十時まで寝ていた。体温がまだ八度ある。もっと寐ていた方がラクだ。湖の本を送らねばと用意していながら、荷造りができない。もう少しお待ち下さい
2010 8・18 107
* 昨夜から、大量に発汗しながら、二度ほど肌着を替えて七時までよく眠った。あさの体温は七度を切った。夜来の雨が有り難かった。さて今も、痛みではないが、腹部不穏はゆるやかにある。固形物を摂らないでいる。体重は一キロ半ほど落ちている。家の中で杖を使っている。
2010 8・19 107
* もう九時半。終日違和感がある。機械の前ではあたまも働くし、仕事も出来るが、からだは、だる重。そんなことを呟くコマーシャルの若い人に妙な物言いだと思っていたが、今は実感。
2010 8・19 107
* さ、今朝一番にいよいよ新刊の初校が出来てきた。思い通りに組み上がっていた。校正に精を出す番。その間にまた腹の痛くなりそうな不快仕事も混じるだろうが、それはそれ、凌いで行く。なんでもない。
* 腹部不快はほぼおさまっていて、起床。
黒い猫と外へ出て、ポストの新聞を取り出し、ちょっと玄関外に据わっていた。冷え冷えと涼しかったが。
十一時、もう涼しくはないだろう。庭は八重葎なす草木で覆われ、少し熱暑枯れしてもいる。朝日子に、最初の「ねこ」の死を書いた小長い作文がある。せっかく「e-文藝館=湖(umi)」に載せていたのだが、著作権侵害だと訴えられて外した。その「ねこ」をテラスの外、書庫との間へ、隠れ蓑と南天の植わっている足下へ、もと紅葉の木のあった辺に、布にくるんで埋葬した。紅葉は玄関外へ植え替えた。のちに、「ねこ」の子の「のこ」も、同じ場所に、長く生きたあと母親と一緒に埋葬してやった。可愛いすてきな母娘猫だった。
2010 8・20 107
* 今日はものが食べられたと思う。湯にも漬かった。少しずつ回復したい、今日は腹部の不快をほとんど感じなくて済んだ。校正、ほどほどに進められた。何がいま一等不自由か、それは起ち居。立つのと、低い位置へ腰を下ろすのとが、甚だ危ない。夜九時だが、もう機械から離れる。
2010 8・20 107
* 疲れて、夕食後に横になり、十時まで熟睡。冷房に冷えて目が覚めた。もう日付が変わっている。
2010 8・23 107
* 狂烈な! 暑さ。 とても、半歩も日照りの下へ出られない。クーラーの部屋で、乾いた四角いタオルを二枚重ねて頸から紐でつり、金太郎の腹掛けのようにして、上にランニング。お腹を冷やしたくないので。タオルの隅ッコが双の乳首にさわって痒いような擽つたい感じ。若い。たてた雨戸の隙から障子越しにくる外の日ざしが痛いほど眩しい。すこし風は有る。
2010 8・24 107
* 六時半に起きた。このところ血糖値やや高めに推移。
ユニクロのランニングの下、お腹の上に30センチ四方のタオル地を二枚重ね、安全ピンで絹紐に繋いで頸に掛けている。ランニングに隠れいてもお腹は張って見えるけれど、この保温と汗トリ効果はめざましく、腹を冷やすと昔からロクなことのないわたしは、金太郎の腹掛けも歓迎している。「マジクール」で頸筋をいつも冷やしている。恰好よりも快適を選んでいる。
2010 8・27 107
* 歯医者へ。江古田、よく照っていた。何処へも寄らず帰ってきた。往復の電車で校正もはかどった。
2010 8・28 107
* アタマがなかなか働かない。十日以上も不愉快仕事に熱中しなければならなかったし、湖の本の校正にも拍車をかけつづけていた。アタマに風が通らず草臥れきっているのだろう。
明日、葉月尽。
2010 8・30 107
* 膝を中心にがっちりしたサポーターを買って貰った。堅いほどしめつけ少々痛いほどだが、起ち居、また怪談の上り下りに感じた膝の痛みにはしっかり効いている。畳から起つとき、ものにつかまり、難渋していた。膝回りの筋肉をせめて回復できるといい。もっとも自転車は電動ならなに不自由なく、ふつうの自転車では少し坂の上りがきつくなっているが、普通の走行ならまだ颯爽と走れる。あまり颯爽がることはしないで置くが。
2010 9・1 108
* 夜中低血糖値59。ミルクとパンに砂糖一匙。ジュース飲んで眠る。
2010 9・2 108
* 熟睡、朝七時前の血糖値103。
* 厄介な要事、たっぷり手を取られるしかし通らねばならぬ仕事。すこしも遊んでいなかった、もう夜の十時。
* 濃いつかれをうすめ癒すには、横になること。できればそのまま眠ること。もう、やすまねば。
機械の画面下に葉書大のアイズビリ裸婦図を立てているが、真っ白地に美しい線で描いてある。その白い画面が黄色く見えてくる。視力の疲れだろう。
2010 9・4 108
* 金太郎の腹掛けのような太鼓腹の上の二枚タオルが威力を発揮し、腹を冷やすことが無い。むろん外出の際こそよけい必需、ただしタオルが汗をずっしり含み始めると逆に腹を冷やすことになるので、要注意。
膝の圧迫サポーターは、きつい。けれど、膝の痛みには有効。
2010 9・5 108
* スキャンして校正、スキャンして校正の連続で、夕過ぎて、宵過ぎて、やがて十時。頭の中がくらくらしている。
2010 9・6 108
* わたしの奥歯は上も下も、右も左も、もう無い。残っていたか手当てしてあったものか、最後の一本が物のはずみでカリッと折れた。さて、何の不都合もないのであるが。明日、歯医者。雨か。
2010 9・7 108
* 歯医者を出たときが土砂降りで。篠つく雨に傘が役立たず、ずぶ濡れ。道は川のように。かろうじて西武線の駅までタクシーにのった。駅のそばで、手もみのラーメンとギョウザを一皿。二人で千円におつりが。店内頭上からの冷房がきつく、濡れたからだが凍りそうだった。
電車では上巻「あとがき」の初校。小降りになっていた保谷駅からもタクシーを使った。
ロミー・シュナイダーのオーストリー皇妃シシーを観て、休息。
* 颱風はおだやかに往って欲しいが、久しぶりに傘を打つ雨音を聴いて、気温も穏やかであったのは、少々濡れても有り難かった。
2010 9・8 108
* 不愉快なことが頻ると、腹痛が起きる。お腹でなく、狭心症や心筋梗塞系の異常と思われる。夜前も胃部の痛みで真夜中に起き、不快を堪えてひとりキッチンで仕事しているうち、背中をさすって欲しい気がして、あ、これは胃でなく心臓だと気付いた。安定剤とニトロを飲み、すうっと痛みが抜けていった。
* ともあれ、為すべき用事を、夕刻前に済ませた。
上巻の再校をかかえ、台風一過でこころもち落ち着いた気温を頼みに、晴れやかな秋の空気を吸いに出たい。
2010 9・9 108
* いろんな夢を連続のような不連続のようにも、明け方まで観ていて、七時に起き、くろいマゴをテラスから中へ入れた。
血糖値は117。
夢では、なんでも歌舞伎の片岡我當が気楽そうにわが家に同居し、寝そべっていたりした。かと思うと、あれはたぶん「男でござる」の大久保房男さんと、石川県小松の井口哲郎さんとが、自転車でわたしを誘い出しに来て、京の新門前界隈を三人で乗りまわして寺ウラにまぎれこんでいたり、二人とも自転車をうちの表に乗り捨てて、家の中で将棋をさしていたりした。わが家にはなんとちいさな孫が五人もいるらしく、五人目の末孫など名前も覚えてなかったのをフイと抱き上げてやると、とても懐かしげになつくので、「ファイヴ」と綽名をつけて愛しがったり。
一貫していまの西東京でなく、京の新門前の家を芯にした夢だった。大久保さんと井口さんの取り合わせは、なんとも妙。
2010 9・10 108
* 膝にきついサポーターを撒いたまま寐たので、夜中に痛くて目が覚めた。
2010 9・11 108
* いわゆる夏バテか。仕事の途中で、うとうとする。ムリをしないでやすみやすみする。
残る暑やちからを抜きて夕の樹々 大野登
2010 9・12 108
* 七時前に起き、圓生の「江戸の夢」についで「鹿政談」を聴きながら、発送用意を少し。 一度床へ戻って、本を八冊続けて読んで。少し睡い。
* 昼過ぎ、潰れるように昼寝した。三時、外はまぶしいほどの照り。郵便局に行ってこなくては。
2010 9・13 108
* 今日の暑さはある種異様で、自転車でなら一分とかからぬ先へ宅配のモノを届けて帰ってきただけで、熱気に浮かばされ息は上がってシンドかった。このバテよう尋常でないが。
2010 9・13 108
* 今朝はやや涼しい、のに、芯が抜けたようにからだのちからが落ちている。フウッと息をついている。六月七月から続いて激しい永い夏であったのだと思う。幸い気がついて心していてか、心(腹)の痛み、感じていない。起ち居に怪我のないように、膝のサポーターを大事に使っている。階段の上がりおりがハッキリ違う。
* 七時前に起き、少し仕事をした。血糖値105、これは好い。
今日は民主党の代表選挙。どっちに転んでも、余程期待は薄れている。他党の誰が総理になっても、いまほど日本の舵取りの難しいときはなく、誰にも目覚ましい期待はかけにくい。大きな過ちをしないで欲しい。
2010 9・14 108
* 芯の疲れか、七時に起きたのに、ふと、も一度横になって十時過ぎまで寝過ごした。歯医者をわたしは失礼した。留守の間に、少しでも仕事を前へ。屈託があるか、少し腹痛がした。背を撫でおろしてもらい、精神安定剤で痛み失せた。観ていた映画「コーマ」が響いたか。ジュヌビエーヴ・ビジョルドとマイケル・ダグラスの異色の病院犯罪ものが神経に障った。面白いと謂うより、怖ろしい。画面も冷え冷えして怖ろしい。
2010 9・18 108
* 六時半に起きた。血糖値97。とても好い。インシュリン注射や服用する薬に助けられての話であるが。
上巻発送の用意はほぼ出来た。出来本の搬入へ一週間、この余裕をうまく使いたい。
* 休もうかと思ったが、やはり予約の歯医者へ出掛けた。往きは寒いほど、雲もあつく垂れ陰気だったのが、帰りはからっと秋晴れの明るさで。誰の心に似たのか秋空を澄んだ光が流れていた。
しばらくぶりに「リオン」で昼食、シェフの大サービスで、うまかった。満腹。気分の悪い日が続いたが、いい店で気分を変えて妻と問題点を見出し思い出し出し検討していくうちに、視野も展望も開けてくる。
2010 9・25 108
* 仕事や用事の交通整理を懸命に頭の中でしながら、嬉しい仕事や不快な用事や、秋場所やドラマ「イ、サン」などいろんな「見もの」にも眼を向けている。中には、腰が悲鳴をあげる肉体労働も加わる。本を運ぶのだ。重い本の包みを四十包み以上も隣家からこっちの仕事場へ運び込むと、顔が歪むほど腰が痛む。幸いに、しかし、休むと痛みはほぼ治まってくれる。やれやれ。
何はともあれ、とりあえず、下巻初校を印刷所に早く戻し、少し手を明けて、他へ振り向けたい。散髪にも行かねば。
2010 9・26 108
* 夏布団から、厚手のに替えた。圓生の「夏の医者」を聴いて寐た。夜中起きなかった。
2010 9・28 108
* 散髪した。幽霊のような顔をしていたが、少し男前があがったかも。
2010 9・29 108
* 八時十二分のバスに乗り、保谷駅へ。有楽町線に事故があり聖路加病院に思ったより遅くついた。院内の電子事情の故障で血液検査などもまた遅れた。
診察の方は、諸データ悪くなく。
昨夜も遅くまでイヤな用事をしていて、歯のいやみに浮く気分わるさ。それでも七時に起きた。今日は初手からアタマの空気の入れ換えだけを考えていた。湖の本104上巻の刷り出しを持っていたので、それを読むのがすてきに精神衛生になった。鴎外、紅葉、子規、漱石等々と読み継ぐにつれ頭の中がせいせいする。
うまい寿司を食い、久間十義さんにもらった本も読み進んで、だんだん興にのってきた。
* 明日朝のうちに上巻の出来本が届く。肉体労働が始まる。
* 昨日からの気疲れが取れていない。京都への出張とんぼ返しも気の重荷になっている。美術賞記念展。受賞した田島征彦さんに逢えれば嬉しいのだが、自分の展覧会に遠くへ出掛けているらしく。ま、授賞式にわたしは欠席したのだ、アイコだな。
2010 10・1 109
* 朝八時過ぎから、昼食夕食の短時間をはさんで夜の九時過ぎまで、妻と二人で本の発送という肉体労働に集中従事した。かなり能率を上げたが、もうへとへと。なにものも五体にのこっていないという疲労過度の有様。余のすべて、明日のことにする
2010 10・2 109
* 夜中にぐっしょり汗を掻いた。みな着替えて寐て、八時半に起きた朝もまだ汗ばんでいた。
2010 10・3 109
* かすかな腹痛に、六時、枕頭灯をともし、沢山の本を読んだ。「ヨハネ黙示録」「総説新約聖書」「江馬細香」「我が身にたどる姫君」直哉の「日記」直哉の「短章」「ふらんすデカメロン」「本朝水滸伝」「芭蕉」「秋成研究」そしてバグワンの「一休道歌」。
相当の量になるがそれぞれとても面白く読んだ。そのまま七時半に起床。食後も腹痛はかすかにのこっている。
少し胸に閊えていた溜飲をさげた。これは、いい。
☆ 直哉の日記から 大正十五年一月 四十三歳 (秦建日子よりすこし年上)
一月二十三日 午后シュミット・ボンのハインとグレーテを見る 感服せず 美しかるべき話であつて下品な感じす (アンドレ・)ジッドなどの比に非ず
二十五日 アンドレ・ジッドの「田園交響楽」を少し見て大いに感服、静かで深く入つてゐる 純粋にして上品なり これを見て自分の作品を見る、子供のやうなものだ シュミット・ボンなど見て高慢な気持を持つ事よろしからず ジッドなど見て謙遜になる時却つて
製作慾たかまる 興奮した。
ジッドは実にいゝ、然し今のガサガサした生活の読者には直ぐには味はへないものかも知れない 本格小説とか大衆文学とか通俗小説とかかういふものが好まれて来た傾向は読者の生活気分に落ちつきを失つて来た事を意味する 深く潜入して書かれたものはそれを読む者の態度も深く潜入して行かなければ理解出来ない、今の読者にはそれが出来なくなつた、なんでもパッパとした余り頭を使はず分かるものが歓迎される、これは此時代として自然な所もあるが作家としてその立場で仕事をするのはいやだ。気軽な左ういふものも時にはいゝが、本統に沈潜したジッドの態度のやうなものを書くに非ざれば心満足出来ない。沈潜して書いたものを沈潜して味はふ時心の奥までそれが響いて来る、この喜びこそ本当に藝術の難有味だ
瀧井(孝作)のものなど今の世で不遇なのは当然だ この事自覚して益々沈潜して行くべきだ、然しもう少し自由に元気よくなつてもいゝ、自由に元気よくしかも沈潜して行くべきだ
* 下品、上品、自分の作品などの語に直哉の「作品」感が顕れている。直哉はふつう製作されたモノは、「作」「作物」と謂っている。
* 直哉には作品のある「藝術品」が確信されていて、「大衆小説」「通俗小説」が区別されているのは当然としても「本格小説」をも区別しているのに注目したい。これは筋書きと面白み本位に「小説らしく作った小説」の意味なのである。
この区別の意識に直哉の場と主張とがある。谷崎と直哉とがしばしば並び称されるとき、人は例えば「細雪」と「暗夜行路」の対比を見ようとする。
2010 10・4 109
* 夜前零時半ごろ、直哉の『邦子』など色々読んでいる手先などへ、違和感が匍い寄って来て、血糖値が71にさがっていた。80から110辺が正常優の値とされているので、そのまま辛抱してもいい値であったかも知れないが、好きな果物ジュースを湯呑みにたっぷり呑むだけで床へももどったが、なかなか寝入れず、本を読み続けた。
それでも睡くならないのでキッチンで「下巻」の校正をすすめ、四時半ごろになった。
八時過ぎに起き、そのまま下巻の再校を終えてしまった。神戸へ往復時の「仕事」にと思っていたが。
下巻発送の用意などまだ何一つ出来ていない。ま、念のためもういちど車中で読むか、大きなゲラ一冊分は重いので置いて行くか。
不愉快な要事の読み物もあるが、おめでたい席へ行くのにあんなものを読み返すのは、いかにも、つまらない。それなら折口信夫から阿部昭まで四十篇を読み直す方がはるかに心嬉しい。懐かしい。
いま、アレを読みたいという面白い文庫本を思いつかないが、ツヴァイクの伝記ものでも読み直すか。
2010 10・14 109
* 夜前の寝不足で、腹の芯から眠気でゆうらゆうらと揺れている。機械の前を離れ、階下で休んで、いい睡眠を引き寄せたい。
2010 10・14 109
* さて。重圧の肩の荷をひとまずおろしてボウッとしていたが、疲れは意想外に重く、だるく、もう一両日の休息の内に発送のための用意と軽作業を進めながら、ゆっくりまた仕掛けの創作のほうへ戻って行く。なにもかも体と相談しながら慌てずに。
2010 10・21 109
* 白菊の夕影ふくみそめしかな 万太郎
* 風邪ぎみか。からだをやすめる。
2010 10・22 109
* まだ八時にならず、隣室で妻のピアノがしきりに苦吟のていで鳴り続いているが、わたしは眼をとじるとそのまま濃い睡りに沈み込んで行く。はやく休もうと思う。
2010 10・23 109
* 起きてしまえなくて、目覚めると午に十五分前、血糖値120。なにかしら、ワケの分からない夢を観ていた。なにかしたい、しなくちゃと思い惑うている情けない夢も観ていた。脳みそをシワくちゃに揉み出すと夢になるのかと思う。
* 寒い。足下から冷えてくしゃみをした。天気はよくない。気分をすっきり変えたい。
2010 10・24 109
* 昨日帰りの西武線のなかでほうっ気の遠くなりそうな感じがあり、幸いタクシーも直ぐ来て、帰宅して測った血圧が、下が50、上が103ぐらいであったのは低血圧か。高血圧への薬は貰っているが。ま、何もなかったけれど、今日も睡くて何度も横になった。からだが回復を要請しているという感じ。
2010 10・26 109
* ついに「後期高齢者」になる準備作業かのように、文美協健保から通知がきた。ややこしい手続きなどは妻に頼む。
此の十二月二十一日に満七十五歳になる。人生の、永かった「二学期と正月休み」とをついに終え、「三学期」が始まるのだなあともし云えば、あんまりシブといではないか、「三学期を終える」のだろうと嗤われそう。そうかも知れない。そうでないのかも知れぬ、まだ生きねばならぬよと尻をつつく内心の声が聞こえる。おまえは去年の誕生日に死に、今年の誕生日は一周忌の筈だろうが、とも聞こえる。ま、そのつもりでいる。どのつもりだか、ハキと分からないのを都合よしとする。
2010 10・30 109
* 外へ夕食に出たい気持ちもあったが、すっかりこっちが緩んでいて、めんどくさくて出なかった。ワインが効いて機械の前でだいぶ寐ていた。
圓生は、いよいよ長篇の人情話になる。つまりは怪談になる。以前にも一通り聴いたが、こわいのである。
2010 11・1 110
☆ 熱中症のこと
湖 様 丸山君の結婚式でお会いした秦先生! と思い出すまでしばらくかかってしまいました。失礼しました。
今年は本当に暑かったです。ですから歳のせいではないのですと思いたいですが、実は3週間前、今度は峠の登りで生まれて初めてギックリ腰をやりました。
ギックリ腰までシンクロすることはないよう、ぜひお気をつけてください。 「mixi」
* 「mixi」の中で、東工大の卒業生と思しき人が日記に「熱中症」にやられた事を書いていたので、思わずメッセージしていたのへ返信である。こういうふうに出会えると「mixi」も楽しい。
「ギックリ腰」は何度かやっているが、今ではほぼ慢性化した腰の痛みとの付き合い方に、ああかこうかと智慧を絞っています。
ちょっと自慢ですら有ったほど雄大だった尻も太ももも膝下も肉が落ちて細々としてきているのが、頼りない。そのわりに上半身が細まらないので、不格好の度は飛躍拡大。誰に怒るワケにも行かない。
2010 11・4 110
☆ お元気ですか。
秋らしい秋もないまま、もう十一月になってしまいました。お元気ですか、みづうみ。
こちらの病人は元気とはほど遠いものの、少しずつ回復しています。現代医学の力はたいしたものです。大好きなお菓子まで食べられるくらいになりました。
みづうみは以前、無責任なドクターに心臓でおどされたようですが、あれはあの時の医療レベルの話で、今なら状況は劇的に改善されているはずです。何しろ認知症も治るという番組が放送されていたくらい。
生活の質を保つ医療はみづうみの年代の方には必須のものです。もう二年近い腹痛の放置は怠慢ですよ。治療すれば治るのですし、悪化すると生活の質が最悪になることだってあるのですから、一日も早く、せめて年内には受診なさいますように。病院へついていって、みづうみの代わりにドクターに症状の説明をしたいくらいです。
この冬、新型インフルエンザの流行がないことを祈ります。湖の本の下巻も楽しみにしています。 懸巣
* 体調の違和には確かに時折見舞われて閉口するけれど、おおかたは要するに老いの鍛錬不足による体力低下だろうと観念している。自転車を軽く恐怖し始めたのが響いて、運動で筋骨を鍛えることを決定的に欠いている。からだが、実に硬い。散髪してくれる働き盛りの人が、どうしてこんなに硬いかといつも惘れるほど、肩や背に屈野の指がかからない。その硬いままに固まって、痛む。寝床に仰向けになって数分というもの、全身の呻く苦痛は凄い。数分でからだが夜具に馴染む。寝床から起つのに苦労するので、そばに、秦の父の使っていた杖を置いて、その力を借りて起き上がっている。爺むさいことだが、或る程度自然な成り行きと、驚いていない。だいじなのは精神がシャンとしていることだと、つまり、やせ我慢を張っているが、言い替えれば怠けている。
2010 11・5 110
* 「ダルオモー」とOLっぽいのが呟いているテレビ広告がある。情け無いが、いまのわたし、そんな按配で。目をとじているときが、一等ラク。
* 夕食もほとんどうまみを覚えず、潰れるように寝入ってしまい、いま、もう十一時。溌溂としないなあ。志賀直哉は胆石という持病にずいぶん悩まされていた。指先ほどの石が出た、出たと日記にしばしば書いている。
いまのところわたしの持病は「運動しない病」で、大きいからだが大きいまま内から痩せて固まっているのだろう。
2010 11・6 110
* 滑るように日が経つ。
身に纏うた、荀子の所謂「蔽=ボロっきれ」の重さに喘ぐ気分。黙々と作業。済ませるべきはやはり早く済ませたい。
* アイズビリの颯爽とした線体美にアテられ、一入萎縮しているようで情け無い。
* それでいて、横になり手の届く限り本を読み廻しているときは、惹き込まれている。
2010 11・7 110
* 夜前は、歌舞伎界の便利帳のような本を買ってきたのを、読み耽っていた。夜中の読書は血糖値を下げるのか、三時頃ふと違和を覚え計ってみると、67。調整して、寝た。
2010 11・10 110
* 急いで最寄りまでバスにのり、はるばる築地の聖路加病院へ、今日は、苦手な視野検査だけ。
視野検査というのは、だいの苦手。片目でにらむ小宇宙の電光チカチカを見つけてはボタンを押し続けるのだが、大嫌い。
なぜか、ウソのように今日は眼科外来が空いていた。幸いに、十一時予約で十一時二十分にはもう検査も済んで解放された。いつもだとこのあと診察まで待ちに待つのだが、診察は別の日に。
で、聖路加看護大学の前をゆっくり散策し、聖路加創立者の旧住館など外から眺め、さてわたしに行ける先は幾つも有った。ゴッホ展も、中堅画家たちの「二十一世の眼」展も、城景都個展も。ほかにも五つも六つも招状や案内をもらっているし、日本橋の、なんだか新しくできた「江戸」を売りの建物を見に行ってもいいし、その辺で江戸前の何か昼飯にしてもいいと。
しかし、何処へ行ってもモノより人が多そうで鬱陶しく、ちょっと贅沢になっても築地の足もとでと、寿司の「福音」の表戸をあけた。まだ店明き前ぐらいで、わたし一人が姿の好い奥方に歓迎され、カウンターを独り占め。酒だけは例の「八海山」を冷やでときめ、あとはなにもかも親方にお任せ。
つきだしに春菊と茸の酢和えが向付も粋に、口中すっきりと身に沁みうまい。
まず「はた」の刺身がめずらしく、肉あつであっさりと味豊か。八海山にピタリ。白絹を糸にしたような烏賊を、塩で、また酢橘とわさび醤油で。そして鯛。赤貝。昆布でしめた鯖のうまいこと。次から次へ。もう覚えてられない、みんなお委せ、眼をとじ酒坏を口にはこび、ゆっくり箸をつかい、口の重い親方と心地いい歓談、珍しく店が静か。
八海山の徳利をもう一つ替え、握りも親方に任せますよと。トロも、海老も、こはだもと、小気味いいタネを一貫ずつ、七つ、八つ、うまい酒を口に含んでじいっと目をとじているうち、出ましたね、食べてしまうのが惜しい、うに。美味いねえ。これで極上と感謝し、玉一切れで「あがり」にした。ああ、ありがたし。
* だいたい、このごろで何が口惜しいかと謂うと、せっかく店に入って食べた物の気に染まなかったとき。同じ一食なのにと悔やんでしまう。不機嫌になる。
量はなくていい、しみじみうまいものがいい。結局はよく選んだ店での寿司が、確実に無難。うまい。しつこくないのがいい。
* 「福音」ですっかり嬉しくなってしまい、もうどこへ遠乗りする気もなく、近くに、見知った甘味材料の卸屋へ寄り、手当たり次第に美味そうなのをいろいろ買いこみ、新富町から一路保谷へ。車中では今気に入りの角田博士の『日本の女性名』と、もう一冊は網野さんの『中世の非人と遊女』とを読み耽ってきた。保谷駅でもうすこし買い物しようと、パンのうまそうなのを何種類も仕入れ、車で帰宅。まだ二時過ぎという早さで、大得をした気持ち。
2010 11・12 110
* 昨日と変わり、へんに気忙しい一日であった。
* 国際ペン東京大会も終えたようだ、理事の一人であるわたしには「身を働かせ」て協力する元気も気もなく、ただ資金的に力添えが出来ればと、かなり多額を寄附して、すべて済ませた。以前の、環太平洋大会の時は演題を提示し演説したが、今回はそういう気にならなかった。身を働かせて働けるときは働き、それがムリになればアタマやコトバで働き、それもムリになれば静かに身を退くのが自然。そういう自然を受け容れるときが来ている。満六十歳定年で東工大教授を退官した。それからもう十五年になるのだ、七十五歳、後期高齢者として保健の取り扱いなども業界の健保組合からは離されるという通知が、すでに来ている。息子の扶養家族になろうかということも妻など考えているようだ、それもいいだろう。
2010 11・13 110
* 夜中に何度も覚め、そして朝寝。気楽な無職だ。
ゆっくり手をかけ、今日、問題のないほとんど全部の読者あて配本発送を終えた。もうすこし、寄贈さきを検討するが。
2010 11・14 110
* さほど冷え込みもせず、好天。体躯には、膝にも腰にもサポーターをつけ、胸と腹には冷えをさけ、まず足腰無事。
2010 11・16 110
* 昨日とうって変わって、くらい冷たい雨。少しく架蔵の荷物類の入れ替えを計ってみた。高いところへ上がるのがコワクなっている。怪我をしたくない。
2010 11・17 110
* 終日、繰り返し急激な睡魔の虜になる。肩と頸とが凝って痛む。心遊んでいないのか。
2010 11・21 110
* 妻を電動自転車のうしろに乗せ、落合川、黒目川の、もう冬ざれの風情を眺めてきた。大きな大きな鯉たちがいたし、たくさんな鴨たちもいた。凄い雲行きだったのが東からきれいに明るんで、立つ雲が美しかった。
* 明日は歯科。明後日は眼科。
2010 11・23 110
* 暫くぶりに歯科受診。そのあと新江古田から大江戸線で六本木に脚を伸ばして「ゴッホ展」にと。新国立美術館の門前に立って本日休館とわかり、ゲッソリ。昨祭日開館の振り替え休館であると。招待状をよく読まなかった当方のミスであり、その先どこかへまわる気も失せ、尻尾を巻いてまた大江戸線で家に帰ってきた。バカげている。
2010 11・24 110
* 明日は聖路加で眼の診察を受けてくる。ひどいことになっていないと、いいのですが。
2010 11・24 110
* 聖路加眼科へ二時に入り、診察は五分、終えて四時。もう夕景の感じに、隅田川永代橋も日比谷のホテルのクラブも諦めて、有楽町線で池袋へ戻った。
デパートの西武でこの帽子いいな、かぶっていいですかと老けた男店員に断ってかぶってみたところへ、わかい女店員が寄ってきて「ご婦人用ですが」と。エエッ。白髪の後期高齢爺が、「ご婦人用」の帽子をもっともらしい顔でかぶって見せたか! アタマに来た!!
で、断乎同じフロアの新装「たん熊北店」に入り、上乗の料理を注文、冷酒の「熊彦」で、ゆーぅっくり京料理に舌鼓。
魚がみな、刺身も焼き物も、汁も、うまかった。最後に出た、甘味の葛切りも美味かった。懐かしかった。読み終えていた『中世の非人と遊女』とを、もう一度じっくり最初から再検討し、これまた研究書のうま味をしみじみ味わうように読み耽った。
そうそう、出された箸のじつに細かったこと、その細さが繊細に調理された和食にじつに親切でピタリで、感心した。どの料理も箸の先でなんとも華奢にこまやかにいい味わいであった。
うまいこと快速準急に坐れて、すばやく保谷へ帰れた。うまいものを喰いうまい酒にあたると、こんなに機嫌がいいかと、チト浅ましかったが。
2010 11・25 110
* 今月以降、少し様態のかわった月日となるだろう、永かった裁判が一応結審され、「和解」勧告による折衝ヘ場面が移動しそうな按配。まだ原告の娘夫婦が和解勧告を「検討する」という段階で予断はできないが、わたしは、その心用意の元に代理人との相談を始めている。これももとより、容易ならぬことと思わねばならぬ。
* 終日、愉快になれぬ要事に奔走し没頭していた。外へ出ても、家に戻っても、気疲れした。
そんなとき、つい甘いものを食べる。
昨日、隅田河原でカルピスと一緒に食べようと保谷駅で買っていったクッキー包みが美味くて、今日家に帰ってから頻りに喰っていた。いろいろの豆の甘納豆のカンヅメも食べていた。何十年もしなかったコーヒーに砂糖というのも、この頃してしまう。低血糖に落ちこむと急いで口にする白砂糖の味をしめたのだ、いつのまにか。
* それでも幸い生きている。痩せないし、よほど疲れていてもお元気そうと言われる。いいことでもイヤなことでも真っ向からいつも組みついているからだろう。愚か者だ。
* 本を読みながら寝ていた。湯に漬かったまま寝ていた。機械の前で寝ていた。気が付けば日付が変わっている。
2010 12・1 111
* 夜中、覿面の腹痛があり、妻に背をなで下ろしてもらいながら痛み止めのクスリを呑み、横臥して本を何冊も次々読み進むうちに楽になった。『もののけ』『我が身にたどる姫君』『誰がために鐘は鳴る』『江馬細香』などに惹きこまれていた。
睡りの闇に引きずり込まれて、もがくように浮かび上がったとき、正午だった。心身にむりがあるのだろう、そんなときは体の求めるままに手綱をゆるめておく。
2010 12・2 111
* 夕食後に、ハタと寝入ってしまい九時に。なんでこう睡いのか。なんで、こうか。
* 不愉快な要事が、まだまだ身に迫っていて免れ得ない。そういえば、去年の師走にもわたしはしきりに腹痛に悩んでいた。
明朝は、わたし独りで歯医者に行く。
2010 12・2 111
* 晴れた青空をまぶしく見上げながら、歯医者へ。
このごろ交通機関に事故遅延や運航停止が多すぎる。時計を頼りに安心して外出がし難い。
途中、雲行きがまた悪しく、しかし治療終えて帰るときは、晴れやかな青い空と白い雲であった。
聖路加へ通っていても治療を受けているというより、検査データの変移を観察されている実感だが、歯医者だけはいつもみっちり治療されている。なにしろ当人がちっとも自分の歯の面倒をみないのだから、よほどヒドイのだろう。みっちり治療されたなあと傷んだり沁みたりするのを堪え、堪えきれないと随分麻酔されて、今日は女先生を長時間独り占め、ゆっくり口の中をさわりまくられた。どこやらの虫歯をどうにかして貰うらしく、金goldを使いますがと言われ、どうぞ宜しくと言ってきた。歌舞伎の好きな女先生も海老蔵事件に一言も二言もあった。
どこへも脚をのばさず帰ってきた。江古田で西武線に乗ると、目の前の席で「湖の本」を読んでいる人がいた。豊島園の方に住む、妻の昔からの親友だった。わたしのマイミクとも何人もマイミクになっている人で、先日百花園に半日を行楽してきた玉井さんは、会ったことはないがどこかの大学教授ですかと聞いていた。それほど、めざましいまで能も、美術も、文学にも、勉強家である。今度機会があったら老稚園の遠足にこの人も誘おうか。
2010 12・3 111
* 今朝からシクシク腹に違和感。構わず仕事をし食べて、是から入浴。「家ごはん」という番組で<冬の魚を紹介したあと鰤をご馳走に料理していた。
2010 12・5 111
* 夜中雨。あさになって明るい日ざし。毎朝の習い、秦の父、母、叔母とひとしきり話してから、少し遅めの朝食。冷えたものを口にすると、冷えしぶりのように腹がかすかに動揺する。
2010 12・8 111
* 歯医者の予約があったと気付いて、朝、すこし慌てた。
左上の奥歯を、なにかしら金属で補強したらしい。
2010 12・11 111
* 朝の血糖値、108。もう、また日曜か。
2010 12・12 111
* 右視力の低下が気がかりになってきた。左右の不均衡にやや気付いていたが。視力検査を受けるつど、こんなイージィな仕方で科学的なのだろうかと気になっていた。たいした変化は無いという意味のことだけをいわれて、何時間も待ち、数分で診察はおしまいだが、結局は高価なメガネを幾つも造り替えて凌いできた。わたし自身の眼のムリ遣いが明らかに一等罪が深いと思っている。読書はすべて裸眼でしている按配で。大事にしなくては。
2010 12・14 111
* 散髪。歳末のひとつ気重な用を済ましたという感じ。石より硬い体だと。肩も背も掴めないと。いいんですかと。また、散髪してくれる人に同じ事を云われた。
睡眠が足りていない。
この三週間の、気ぜわしかったことよ。去年の暮れは、親たちで悩ましかった。だが憂いに加わる幾分の懐かしさがあった。この霜月師走は、砂漠を歩みながら何度も何度も転んできたようだ。口の中まで砂を噛んでいる。堪えねばならぬことでは去年も今年も区別無し。
2010 12・15 111
* 今年最後の歯医者さん。しっかり治療してもらった。ようやるなあと、娘よりうんと若い女先生に、敬礼。
帰りにしばらくぶりに「リオン」へ寄る。赤ワイン。サーモンのマリネにチーズ。泡立てたトマトの温スープ。青い茶の香りの温かいマッシュポテトを敷いて、煮て美味い鯛の上に青菜。妻は人参をたっぷり敷いて凝った豚肉の料理。二種のデザートに、コーヒー。妻は紅茶。ちょっと買い物、そしてお土産をもらって。大繁昌で、入れないお客も。わたしたちは、あやふく滑り込み、特別に席を作ってもらって、ゆっくりできた。
家に帰って、買い物してきた品のおつり分を貰いながら支払い忘れに気付いて、慌てて電話。新年までお笑いの借財。ま、ご愛嬌ということに。
2010 12・18 111
* 七時に床を出た。この頃では早い方。寒い。機械の前へ来ても、なかなか煖房がきかない。スリッパの足の裏が痛いほど冷たい。下半身が冷えに冷え込む。頭にはシナの防寒帽をのせている。マウスを掴む右手用の手袋がないと、マウスが痛いほど冷たい。
はるばる電話で注文した山口の生絹(すずし)。抹茶と小豆の二本を朝飯に。口当たりよく品のいい甘みが嬉しい。
2010 12・28 111
* 私は、今、胸が苦しい。映画「敬愛なるベートーヴェン」を見終えてきて、音楽との一体の感動のまま、興奮した。心臓が苦しい。
エド・ハリスのベートーヴェン、ダイアン・クルーガーのアンナ・ホルツ。第九初演の場面の聖なるオルガスムスに、わたしも酔った。すばらしい映画。アンナのボイフレンドの、栄誉を夢見て建築コンペに出した「橋」の模型を、面前でたたき割るベートーヴェンの素晴らしさ。藝術家の魂が、天才が、あれだ。そして、最期の大フーガの先見性。
* 危険なほど胸が苦しい。痛む。
2010 12・28 111
* 苦悶を強いる胸の痛みは、舌下錠二つのあと沈下し、キツイ痛みは鳩尾へ集まった。妻に背を撫でおろしてもらい、痛み止め散薬をのんで、しばらくして緩解。
暫く寝入ったが、眠り中断のあとは余計なことを考えまいと読書。そしてほとんど仮眠かのように眠りは寸断され、そのつど尿意を感じて床を立っていた。
2010 12・29 111
* わたしの「いま・ここ」は、有り体に一言すれば「不愉快」に尽きている。だから執拗に腹痛も起きる。だからこそわたしが刻々に積み上げて行くのは「愉快」な豊かさ。幸せ。
生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯の一つ 大島史洋
2010 12・29 111